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イワン・イリイチの死~読書記録252~

ロシアの文豪トルストイが1886年に書いた小説。


一官吏が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ、死の恐怖と孤独にさいなまれながらやがて諦観に達するまでの経過を描く。題材は何の変哲もないが、トルストイ(1828‐1910)の透徹した人間観察と生きて鼓動するような感覚描写は、非凡な英雄偉人の生涯にもましてこの一凡人の小さな生活にずしりとした存在感をあたえている。

主人公は病床で肉体的苦痛に苛まれながら、苦痛、死、人生の意味など答えのない自問が次々に湧き起こり、精神的にも苛まれていく。 死の直前になって、ようやく地位、名誉、世間体、経済的な富裕、他者との比較評価など、自分が当たり前のように信じていた人生の価値尺度が全て「間違い」だと気づく。


一言で言うと「暗い」作品であった。
特に、主人公が病の床に伏し、苦しむさまは痛ましい。
死を「あいつ」と呼ぶのが印象に残った。死を擬人化しているのだ。
これは死神の事であろうか。と私は勝手に思った。

作品では、梯子から落ちて脇腹を打ってしまい、そこから病に。3ヶ月で亡くなる、となっている。
色々な解説をみても、そこはツッコミがない。
19世紀のロシアの話であるが、ここに書かれた症状から、癌ではないかな?と私は勝手に思っている。
その描写でイメージしたのは、エリザベス・キューブラー=ロスの「死ぬ瞬間」だった。嘆き、怒り、取引、鬱、そして、自分の運命を受け入れるのだ。

望月哲男先生の解説によると、主人公の名前、イワン・イリイチは、イワンはヨハネ。イリイチはエリア(旧約聖書に出て来る予言者)だそうだ。
ヨハネもバプテスマのヨハネの事であろうから、預言者を表す名前として、かなり面白い。

黒澤明監督の「生きる」も、何と!この作品から発想されたのだそうだ。


宗教学者の島薗進先生は、この作品を「心の空白にもがく」と評している。


トルストイはキリストの復活、キリストは救い主だという教義、キリストが処女から生まれたという教え、キリストの再臨、神の前での審判などという概念は「信じない」とはっきり述べている。だが、すべての根源が神であること、キリストの教えの中にこそ神の意志が現れていることなどは信じている。そして人間の真の幸福は神の意志を尊重する事、それは愛し合い、自分が他人にしてもらいたいと思うことを他者にすべきだということーこれらが自分の信念だと述べている。(本書より)

この物語は最後にこそほんの少し安らぎが描かれているものの、全体として暗い。この作品を書く事で、作家は何とか答えを指し示したのだとしても、その後もなお格闘は続いたのだろう。
重苦しい物語だが、宗教的なものの助けによって「弱さに向き合う」というありようが生き生きと表現されていて、書かれてから130年近くを経た今日でも、驚くほど新鮮な内容だ。(本書より)

たしかに、出世、生きる意味、死。。。
それらを求める気持ちは、19世紀でも21世紀でも変わらないのかもしれない。黒澤明監督の時代でも、21世紀の今でも共感する場合がかなりあると思うのだった。


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