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初めての地 船橋

47都道府県制覇を目指す!
何のこっちゃ?

これやーーー。ホトカミの素晴らしい機能の1つだと勝手に私は思っている。とにかく、やる気になる。生きている張り合いになる。全部を埋め尽くすまでは、ボケ封じ願いをしまくり、仕事も頑張る。

という事で、近いのに成田空港くらいしか訪れた事のない千葉県へと。
成田山新勝寺に行こう!と思ったものの、かなり遠い。成田駅まで行く電車も少ないじゃあないか。
ということで、千葉市よりも横浜から近い船橋市へと。


想像以上に大きい駅であった。東武、京成と便利な街だ。

こちらには船橋市にある町の小さな神社なども詳しく載っている。感謝。

まずは、駅に一番近いと判断した猿田彦神社だ。
駅から県道39号を5分ほど歩く。

で、Googleマップの指示だと、車の通りの多い、信号、横断歩道もない道を横切れとな。
確かに、ここを横切ると目の前が猿田彦神社なのだ。


神職はおたず、町内会で管理されているようでした。

猿田彦は、古代神話で道案内をした神として知られている。長身で天狗のように鼻の高い神様で、道祖神と同じだとされる場合もある。道の神として知られる猿田彦神社は、悪疫・悪霊を防ぐはたらきの他に、火事を防ぐ神等の要素もある。江戸時代に船橋宿と呼ばれた本町一帯には、村の鎮守以外に、猿田彦神社のような隣近所の家で祭った小さな神社が数多くある。(船橋市のホームページより)


最近は、賽銭泥棒というか、賽銭箱や祠を壊す輩もいるので、こんな感じになっている。ここにお賽銭を入れた。

続いては、商店街を通り抜け行ったのが、道祖神社だ。


道祖神は道六神(どうろくじん)とも呼ばれ、元々は村境や辻に祭られ、町や村に悪霊や悪疫が入るのを防ぐ神だった。道祖神は非常に古くから信仰された神様なので、様々な祈願に応える機能を持つようになった。元々の厄除け的なものから、足・耳の病を治すはたらき、さらには子授けや夫婦和合の願いを叶える神様としても信仰されるようになった。境内には仏教の中の“愛の仏”である愛染明王の石仏も移されている。

こちらに。

そして、驚いたことに、何と!船橋は真言宗豊山派寺院が多いのだ。


円蔵院さんにて、こちらを頂いたのだが、実によく出来ている。

詳しくは、こちらに。

船橋駅周辺で廻った真言宗豊山派の寺院をあげたいと思う。


覚王寺。
本尊は大日如来。境内には「難陀龍王堂」(海上守護の神、市指定文化財)、弘法大師供養塔、十九夜塔がある。明治6年に小学校が置かれ、行法寺とともに船橋小学校の前身となった。


不動院。こちらは入口に小さな大仏様がおられる。

真言宗の寺。入口にある大仏は、もとは津波による溺死者供養のために建立されたものだが、文政年間(江戸時代後期)以降は、近隣との漁場争いから獄死した二人の漁師総代の供養が行われる場所となっている。この供養は「大仏追善供養」と呼ばれ、市の無形文化財に指定されている。毎年2月28日になると、大仏に白米の飯を盛り上げるほどにつけて供養する。これは牢内で食が乏しかったのを償うためと伝えられており、地元ではこの大仏を「飯つぶ地蔵」と呼んでいる。大仏の西側に漁師総代二人の墓碑が建てられている。(船橋市のホームページより)


西福寺の弘法大師様は素敵だった。

西福寺
船橋山清浄心院は眞言宗豊山派總本山長谷寺の管轄に屬し、末寺七ヶ寺を有する十六等地の小本寺なり。其の開基未だ詳ならず。眞覺とて或いは寶淋坊西福ともいふ。高徳奉祀即ち長剛の時本堂を改築し梵鐘を鑄造す。後戊辰の兵火にかゝり暫く荒廢に委せしを現在の住快善僧都に及ひて本堂並に庫裡を修築す。昭和九年大師堂鐘楼改築す。梵鐘の表面には經文を刻し、裏面に維文化戊九年十月吉祥日、當山法流三十三世現住長剛代、下總國葛飾郡船橋五日市船橋山清浄心西福寺とあり。本尊は阿彌陀如来なり。境内に俗に船橋三位様と稱する二基あり。伏原二位宣條卿船橋式部大輔則實の碑なりといふ。一は塔石五層高六尺臺石方四尺一寸、一は塔石五層高八尺臺石方四尺一寸あり西墓共皆文字なし。(「船橋町史」より)


船橋には、船橋大神宮と呼ばれる大きな格式ある神社がある。その隣にあるのが、こちらの東光寺だ。

東光寺
西福寺の末寺なり。本尊は薬師如来、新義眞言宗豊山派に屬し、天文年間浄信和尚の開基にかゝり後祝融の災に罹る。天道念佛は本寺より創出せしなりといふ。(「船橋町史」より)

と、ここまでは真言宗豊山派寺院であった。

こちらは、浄土宗の浄勝寺だ。戦後に単立となったが、平成26年に浄土宗に復帰したという。又、長野市善光寺別院ともなっている。江戸時代、戊辰戦争となかなか歴史ある寺院だ。

詳しくは、こちらに。


全国に100以上ある東照宮だが、ここ船橋東照宮は日本1小さい東照宮と言われている。

詳しくは、こちらに。


その広さに驚かされるのが、船橋大神宮の名で呼ばれている意富比神社だ。

想像以上の広大さに圧倒されてしまった。
街の至る所に小さな神社は多いものの、船橋大神宮の存在は格別だろう。わざわざ来る価値がある。

詳しくは、こちらに。


ぶらり旅の最後に行った場所は、太宰治が昔住んでいた家があった場所であった。


新しい家が建っており、ここの表示だけ写真に収めた。


海老川の橋に記念碑がある。


こちらが船橋市本町にある観蔵稲荷神社だ。

船橋時代の太宰は、お稲荷さんの狐の石像を背景にした写真を残しており、これを単行本の口絵写真にも使っています。この写真が撮られた場所として伝えられているのが、船橋市本町4丁目の「御蔵稲荷神社」です。船橋駅の南口を出発し、飲食店等の立ち並ぶ繁華街を抜けると突然現れる、鮮やかな赤い鳥居。今も地域のみなさんが大切に守っている神社です。(船橋市のホームページより)

それが、こちらの写真だ。

汗だくになりつつも、今まで知らなかった数々の事を学んだ1日となった。感謝だ。


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