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奇子(あやこ)手塚治虫~読書記録182~

この作品を初めて読んだのは今年の5月。秋田県横手市にある「増田漫画美術館」に行った時であった。手塚治虫作品は、中高生時代に殆ど読んでいたが、この作品は全く知らなかったので、その場にいた友人の存在も忘れ、読みふけってしまった。


内容はいうと、こちらに詳しく書かれている。
私は、これは昭和20年代の変革する時代背景を多く詰め込んだな、と感心したのだった。

まず、国鉄下山事件については、まだ謎のままだ。
下に解説されている。


天外家は代々の地主なのだが、戦後の農地改革により収入も減っていく。
又、跡継ぎにだけ遺産がという制度も崩れていく時代だ。
女性の選挙権も様々な権利も出来てきて、長女のなおこが共産主義運動をしていたり。
次男はアメリカのスパイをしたり。
腹違いの妹がいたりと、大変な一家だ。

で、そんな中で私が興味をひいたもの。多分、私は他の人とは違った目線を持っているのだろう。
それは、畑の中にある鳥居と御堂だ。


ここに、解説もあるが、昔からある田畑の中には、鳥居や祠があった。
山神、稲荷を祀る、願いを掛けたものなのだとの解説にもある。

そして、これを読んでから、隣で運転する友人に済まないな、と思いながら、秋田県横手市、湯沢市の田畑を注視していた。
やはり、昔からの土地だからだろう。田畑には、かなりの数の鳥居があった。
昔の日本人は、山や畑を開墾する際に、山の神様にお祈りしたのだ。

ついでにかなり突飛な考えになるのだが、神さまを祀った祠に共産主義のメンバーの秘密の暗号が書かれているというのも、戦後の神仏否定の時代を思わせるのではないだろうか。

以来、私はどこかの田舎に行くと、田んぼや畑にある鳥居や祠を見つけるのが癖になった。
それは田舎に限らず、都市開発の波を受け、ビルの屋上に移転したものなどもある。高いビルから観ると、屋上に鳥居があるのも面白い。

そんなわけで、山上様の例を一つ。


こちらは、埼玉県秩父郡小鹿野町にある「田端稲荷神社」という。
十輪寺から小鹿神社に行く田畑の中にある。
五穀豊穣の神で、干し柿の神さまと書かれていた。
もちろん、神主もいない小さな祠だけのものだ。
きっと昔の人は、こういう小さな祠を田畑に作り、祈りを捧げていたのであろう。

埼玉県秩父郡小鹿野町小鹿野2066
秩父駅より西武バス小鹿野車庫行きにて、小鹿野町下車。十輪寺の裏にある。

相変わらずの脱線で申し訳ない。

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