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日本に絶望している人のための政治入門  ~読書記録243~

2015年、国際政治学者の三浦瑠麗氏の著作。

私は、政治学や国際政治理論というものを生業にしている人間で、理論というのは、複雑な世の中を理解するための視座を提供するという事です。
(本書より)


私が一定の知能指数がないからだろうか。
「政治入門」と言うには、難解すぎて、よくわからない本であった。

わざと難解にしているのだろうとも読み取れるのは、カタカナの濫用だ。

パソコンで調べながら記録していきたい。

三浦瑠麗氏の政治に関する思想を貫くものは、コンパッションだそうだ。
辞書では、思いやり、共感などと訳される。
「Compassion」 元々のラテン語の意味の「Con=共に。Pati=苦しむ」というのが彼女の思想には近いようだ。

国民の生活に共に苦しむ。これが彼女の思想なんだそうだ。

私のコンパッションとは、いわば積み重ねられた絶望感の上にやっと成り立ったものであって、憎しみや怒りを乗り越えてようやっとたどり着いた戒めのようなものです。犠牲になり、踏みつけられた者たちの存在に目を向け、怒りを乗り越えられたところから出た言葉でなくては、コンパッションというのは浅い言辞にすぎません。恵まれた高みから、愛や、共感や、犠牲を語ってはいけないのです。(本書より)

近年の日本政治におけるいまひとつの重要な軸は、日本のエスタブリッシュメントが長らく代表してきた功利主義との距離感ではないでしょうか。反功利主義の象徴的な瞬間は、小泉元総理が「自民党をぶっ壊す」と主張して登場した疑似政権交代のカタルシスの最中にあったように思います。
(本書より)

エスタブリッシュメントとは、「社会的に確立した体制・制度」やそれを代表する「支配階級」を言う。
カタルシスとは、哲学および心理学において精神の「浄化」を意味する。アリストテレスが著書『詩学』中の悲劇論に、「悲劇が観客の心に怖れと憐れみの感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果」として書き著して以降使われるようになったが、アリストテレス自身は演劇学用語として使った。

野党再編については、ホッとトピック、チェック&バランス などなど、何故に、わざわざ聞きなれない英語を使うのか?
例えば、大学院の博士論文のようなものなら仕方ないのだが、文芸春秋社から出ている一般人に売れて欲しい本として書店に並ぶものなのだ。

オバマ政権については、行動よりもレトリック、と。

レトリック(rhetoric):言い回しを工夫することによっての相手の感情に訴えかける方法。実質を伴わない表現上だけの言葉。レトリックは日本語で「修辞法」と訳されており、具体的な表現技法としては比喩、誇張、反語、倒置など。


地方創生をアベノミクスの第二フェーズの目玉とするのであれば、世界の期待値を凌駕するレベルのスピード感が求められ、同時に、社会の大きな部分を担うに至った非正規層に実感を届けるものでなければならない。
(本書より)

フェーズ」は、主にビジネス用語として「段階・区切り」「段階・時期」という意味で使われている。プロジェクトの進捗状況や事業の成長過程などを指す。

本書では一貫して、著者は、「私にはコンパッション(日本人と共に苦しむ)の思想がある」を書かれていたように読み取れた。
彼女の小さな頃からの体験、勉強などから、確かに苦しんできたはわかるのだが、もう少し、一般人に理解出来るようにテレビや文書でも話してくれたらな、と思うのであった。

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