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善人のやめ方 ひろさちや~読書記録225~

2014年発行。宗教哲学者の、ひろさちや先生の著書。
架空の人物との対談方式で組み立てられている。


一言で言うなれば、自分を第一に!だろう。
世間体、経済、会社や仕事などに一番にしている日本人のなんと多いことか。

「人生の危機」。よく聞く言葉でもある。会社をリストラされた。明日からどうしよう。などという時に、「人生の危機」と言う人は多い。
「人生の危機」とは、自分が何のために生きているかわからなくなった時を言う。

「人は何のために生きているのか?」
多くの現代日本人が思うことである。
敗戦以前は「天皇の為」「お国の為」と言われ、戦後は「会社の為に」と言われ、それは一種の洗脳なのだと先生は言われる。
「働く喜び」それは植え付けられたものではないか?

私などは、今現在「働く喜び」は感じていない。生活するお金を得る為の手段としか思わない。今の職場は同僚がいないのと、利益追求ではないから良いのだが、他では通用しなかった。老人ホームの厨房などでも、やはり利益は言われた。だから、介護士も調理パートもベテランさんと新人さんと同じ時給だったわけだ。苦笑。利用者さんに笑顔をなど言われても、仕事が前よりもアップしたのだから時給をあげて欲しいと願う私は雇いにくいのだろう。

小学校から、ずっと優等生できた先生は、高校生の時に努力型優等生を辞めた。その時に、モームの「人間の絆」との出会いがあった。
そこで、「人生に意味はない」を悟られた。
仏教で言うところの「空」だ。

Twitterというものは、英語では「小鳥のさえずり」と言った意味がある。
元々は、呟きなのだ。
だいたいにおいて、自分の意見を持っていない人が世の中のつぶやきを気にする、と先生は指摘しておられる。
確かに、ここ最近はそれを感じる。
注目のトレンドが常に出てきて、ユーザーを離さない仕組みになっているような気がする。


ひろさちや先生は、仏教、キリスト教の事にも触れている。
比較してみると、求めているところ、信者の有様は同じなのではないかと思った。
モームが嫌いだったのが、キリスト教ではない。キリスト教徒だったのだ。
それで、私は、あ!と思った。まさに、私と同じだからだ。
役員らが望むような信者になれず、キリスト教会を追放された私であるが、聖書に書いてあるイエス様の姿勢からは、教会の偉い人に従えない人間を追い出すなどは見受けられない。

小欲知足を仏教では言うが、人は、実はお金などいくらあったら足りるの?と言う者なのだ。
年金が13万円出る。これだけあれば暮らせる。感謝と思うか、足りない。困った。と思うかは、見方による。

世間の考えにとらわれず、、自分自身を大切に生きたいと思うのであった。


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