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浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか~読書記録270~

宗教学者の島田裕巳先生が2012年に書かれた著書である。

本のタイトルからして、浄土真宗について深掘りしているのかと思ったら、全く違った。
6世紀からの日本の仏教諸宗派についての説明であった。
そこは大変詳しいので敬服したい。

日本の仏教は、主に遣唐使で有名なように、優秀な人間が中国に学びに行き、中国のものを伝えたのだとされている。
だが、その中でも日本式に変えられていった。
それが、本寺垂迹という、神仏習合の形である。

本寺垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)とは・・・
神は仏が世の人を救うために姿を変えてこの世に現われたとする神仏同体の説
。 法華経の本門・迹門の理解に負うもので、すでに九世紀ごろから神仏習合説が行なわれ、平安末期から鎌倉時代にかけて、すべての神社の本地仏が定められるほど盛んとなり、明治の神仏分離まで続いた。

日本仏教を大きく変えたのは、やはり、最澄と空海の存在であろう。
特に、比叡山延暦寺は学びの場としての存在が大きい。
鎌倉時代以降に発展していく新宗派の創始者たちは、比叡山で学んだ者ばかりだ。
法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、などなど。

高野山真言宗では、余にも空海の存在が大きかったからか、他に思いつく僧もいないし、真言宗の中に○○派などというものは出来ても、他の宗にまで行くことはなかった。
高野山真言宗、真言宗豊山派、真言宗智山派など色々あるが、弘法大師様への想いが強い。
空海のカリスマ性であろうか。
様々な伝説が残されている。弘法大師様伝説だ。

そして、親鸞にもカリスマ性があったのだ。
義務教育の教科書にもある「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の悪人正機説は有名である。が、これは親鸞が記したものではなく、弟子が書いたものである。
新約聖書にも共通するが、イエスが直接書いたものは存在していない。福音書や手紙は弟子が書いているのだ。それがカリスマ性を際立たせている。

読んでいく中で、戦国時代の一揆、明治維新後の新仏分離令、廃仏毀釈、戦後の混乱期、一般人にも広まる葬式仏教。それらを乗り越え、上手に成長してきたのが浄土真宗ではないかと感じた。
現在も感じるのは、浄土真宗は他の寺院とは違うなという所が多い。例えば、茶髪坊主などもいる。本尊の前で、おやつを食べる動画をあげたり、自由気ままに振舞うなど。曹洞宗寺院で働く友人は、毎日、毎時間が修行らしいから、理解出来ないであろう。
あるYou tuberの女性は、保育士をしながら浄土真宗の僧侶をしている。
浄土真宗本願寺では10日ほど修行すれば僧侶となり、自由に活動出来るようになれるらしい。

この方を観ると、本当に可愛らしいし、自由だし、現代に生き残る人なんだろうなと思える。
難しい解説本を読まないでも、浄土真宗が受け入れられる要因がわかるような気がする。

又、刑務所の教誨師は日本の場合、真宗の僧侶が多いのだという。

私の勝手な考えだが、悪人正機説もあるように、罪を犯し、後悔している人間に対しては浄土真宗は気持ちが楽になれると思う。
曹洞宗のような「食事時も厳しく」「座禅、茶道で悟りを」などの厳しいものはキツイかもしれない。悟りを得られるなら罪を最初から犯していないだろう。

浄土真宗は確かに門徒が多いイメージがある。
特に有名人で築地本願寺で葬儀を行った人が多い。
ごく最近では、笑福亭笑瓶さん。
他には、XJAPANのhideちゃん、大島渚監督、勝新太郎さん、三浦春馬さんなどなど。
西城秀樹さんは、築地本願寺ではなかったものの、浄土真宗ということは知られていた。
今現在活躍されておられる五木寛之先生は、「浄土真宗です」と公言されておられる。hideちゃんも生前から言っていたが。


浄土真宗の門徒は確かに多いのだろう。だが、地域性があるのではないだろうか?と、私は勝手に思っている。
何故なら、私の故郷の秩父では浄土真宗の寺院は1つもないのだ。埼玉県自体、少ない。
秩父札所では、曹洞宗、真言宗などだ。
神奈川県でもあまり見かけない。
ところが、昨年訪れた石川県は、さすが真宗王国!多く見られた。
又、先月訪れた滋賀県。中でも、長浜は街中の黒壁スクエアの通りは、小さなものも含め、浄土真宗の寺院がかなりあった。

これを観ると、いかに長浜に浄土真宗の寺院が多いかわかる。


ということで、本の紹介というよりも、私自身の個人の考えになってしまい、謝罪したい。




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