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命ある限り歩き続ける~読書記録54~

作家・五木寛之先生と、鎌倉円覚寺住職(管長)横田南嶺氏の対談集。
画像は、鎌倉ではなく、横浜市の円覚寺です。すみません。。。

五木寛之先生が言われるように、お顔から、仏の心がわかるような方だ。
昭和39年生まれということで、100歳寿命の現代では、まだまだ若いのだろう。。。

お2人とも、故・松原泰道先生を尊敬されている。

臨済宗の僧侶であったが、寺にこもりきりよりも、街に出て喫茶店で辻説法をする、という伝道師でもあった。

松原泰道師は、オウム真理教事件の時に、
「なぜ、事件を起こした、あの若者たちに正しい導きが出来なかったのか。申し訳なく思う。」と、仏教の道を伝えなかったことを悔いておられたそうだ。
このように感じた宗教家が、あの時にいただろうか。事件を起こした信者らを批判する人たちは沢山いたが。。。

「ありがとうの一言が周りを明るくする。
 おかげさまの一言が自分を明るくする。
 ありがとう。おかげさま。これが仏教の心です」
    松原泰道師の言葉

「花が咲いている
 精一杯咲いている
 私たちも精一杯生きよう」 
   横田南嶺氏が15歳で松原泰道師に初めて貰った言葉。


今真剣に考えなければならないのは、いかに死ぬかがテーマだろうというのが率直な気持ちなんです。どんな美しい花もいずれ散っていく。ならばどうすれば精一杯散っていけるのかと。  ー五木寛之先生

昔は、耳で聞き、暗記していた。本が生まれたことによって覚える能力が退化していったのではないか?今は、すぐにスマホを取り出して検索する時代。
活字が第一回目の人間の退行で、二回目はIT化。

「無財の七施」
財はなくても他人様への施しは出来るのだという考え。
眼施(げんせ):優しい眼差し
和顔施(わげんせ):笑顔
言辞施(ごんじせ):愛情のこもった言葉
身施:自分の身体を使い奉仕する
心施:思いやり
床座施(しょうざせ):席を譲る
房舎施(ぼうじゃせ):家に泊める

円覚寺では「怨親平等」を教えている。これは敵も味方も平等に弔う、供養すると言う意味。
円覚寺は、鎌倉時代、元寇の後に出来たが、元寇で命を落とした日本兵のみならず、攻めてきた元の兵士も平等に区別せずに弔う、というのが開創の根本精神である。

孤独の問題についても、1人でいても実は2人連れと考えて、そのもう1人の自分と対話する。

「1人居て喜ばは2人と思うべし。2人居て喜ばは3人と思うべし。その1人は親鸞」親鸞聖人の言葉

お遍路参りでの「同行2人」は、常に弘法大師様が共にいてくださる、ということ。


お2人共、素晴らしい方で、この対談本の存在を感謝するのであった。
今は脚の調子が悪く、思うようにいかないのだが、治して、円覚寺その他に行こうと思った。




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