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続・病院で死ぬということ~読書記録245~

1993年に刊行された山崎章朗医師による著。

1990年に前作「病院で死ぬということ」が刊行され、その後、著者はカトリックの修道院の作った病院でホスピス医として働くことになった。


前作と同じく、各個々人のエピソードもあるが、ホスピスとはどういうものである科の心がまえが以前と違っていると感じた。

それが、前著で書かれていた著者自身のイメージと実際に働き始めてからの対比で表されている。

著者が思い描いていたホスピスについての13項目
1、ホスピスは末期患者、特に末期がん患者及びその家族を応援する為の施設であり、応援するためのプログラムでもある。
2、ホスピスを支える理念は、末期がん患者がその最期の時まで、快適で患者自身の選択と意志に基づいて生き抜くことを応援するということである。
3、ホスピスで行われる医療は、患者の苦痛を取り除く事に最大の力が注がれる。特に疼痛のコントロールは大きな柱となる。しかし、通常の制癌治療も延命治療も患者が望むのであれば。当然提供される。
4、ホスピスでは患者の医師と人権は最大限尊重され、守られるだろう。
5、ホスピスでは患者自身の本音に基づいた意志を応援するために、常に患者に対して正しい情報が伝えられるだろう。ただし、患者自身が伝えないで欲しいと望めば、それも可能である。
6、ホスピスではキリスト教でも仏教でも他の宗教でも、患者の望む宗教的援助が受けられるであろう。
7、ホスピスでは患者の家族は、患者同様に応援されることになるだろう。
8、ホスピスを支える人たちは医者、看護婦だけでなく、ソーシャルワーカー、栄養士、宗教家、そして多種多様な職業からなるボランティアなどであり、これらの人たちがチームを組んで、患者のあらゆるニーズを可能な限り応援するだろう。
9、ホスピスは施設でのケアも出来るが、在宅ケアのプログラムも持っているので、患者が最後まで住み慣れた自宅にいたいと望めば、それも十分可能となるだろう。
10、ホスピスでは患者は定期的に行われるコンサートや、絵画の展示などの芸術にふれたり、参加することも出来る。そのようなプログラムを持つからである。
11、ホスピスでは、患者が歌手で、自分の余命がいくばくもない事を承知していて、その最期をステージで歌を歌い、聴衆の喝采の中で迎えたいと望めば、その実現のために最大限の努力がなされるだろう。
12、ホスピスの個室では、患者が患者の愛する人とともに同じベッドの中にいたとしても、誰も非難しないだろう。それは人間であれば、ごく自然なことなのだから。
13、ホスピスでは、患者は患者の親しい人たちとの出会いを喜び、そして近く確実に訪れる別れの時を、患者が亡くなってからではなく、お互いに気持ちの交流が出来る時に、涙を流しながら心から悲しみ合うことが出来る。偽りがないのだから。患者は患者が誰かを愛し、誰かが患者を愛していることを具体的に感じながら生きることが出来るのだ。

続篇にて、訂正されたこと。

1、ホスピスは、ホスピスケアを自ら望む・・・
病気と共存しながら、残りの人生をよりよく生きる為にエネルギーを注いでいきたいと考えている人を応援するところだ。

3、ホスピスで行われる医療は、患者の苦痛を取り除く事に最大の力が注がれる。特に疼痛のコントロールは大きな柱となる。しかし、通常の制癌治療も延命治療も患者が望むのであれば。当然提供される。
患者の苦痛が除去出来たり軽減できることが前提。

6、ホスピスではキリスト教でも仏教でも他の宗教でも、患者の望む宗教的援助が受けられるであろう。
既に特定の宗教を持っている人たちは、様々な問題に直面したときに起きる不安な心をその宗教によって支えられることが少なくない。
ホスピスが、不安な心を持っている患者に特定の宗教を押し付けることはあり得ない。

7、ホスピスでは患者の家族は、患者同様に応援されることになるだろう。
ホスピスでは、その時々に起きてきた変化を、家族が理解出来る言葉で納得できるまで丁寧に説明する。

13、ホスピスでは、患者は患者の親しい人たちとの出会いを喜び、そして近く確実に訪れる別れの時を、患者が亡くなってからではなく、お互いに気持ちの交流が出来る時に、涙を流しながら心から悲しみ合うことが出来る。偽りがないのだから。患者は患者が誰かを愛し、誰かが患者を愛していることを具体的に感じながら生きることが出来るのだ。
もうあまり時間がない時に、お互いの別れが近いことを隠し合う理由はなんなのだろう。それは本当の理由なのだろうか。


私自身は、何人かではあるが、ホスピスで働く神父や牧師を知っている。
前に働いていた人をも知っている。


私個人としては、キリスト教の病院にはチャプレンがおり、キリスト教を圧しつけているイメージがあった。死ぬ前に洗礼を受けるように促したりなどだ。

ホスピス医にお会いした事はないので、山崎章朗先生の著書から、医師の立場からホスピスの現場を知り、頭の切り替えができた感じもする。
だが、想いは人それぞれ。
山崎章朗医師と神父や牧師は違う意見かもしれない。

人は、結局は病気になると病院に行くのだ。昔のように、自宅で亡くなる事はないのだな、と寂しくも思うのであった。


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