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片付けに対する思考

ここ数年の自分の反省から、他人の意見を100%良しか悪いかで決めるのは辞めよう。と最近は思いつつある。
例えば、私はTwitterで知り合ったカウンセラーが絶賛する内海聡という内科医の本を読んで納得し、正しいと思いながらツイートしていた。
だが、深入りしていくと、およそ医学とも本当に治るとも知れないような怪しいグッズを勧める集団。まるでカルト宗教だった。
白砂糖だけ辞めるならまだしも、私には蜂蜜やメイプルシロップだのもダメだと言って来た。

レメディーって、主成分は白砂糖で、プラシーボ効果とも言われているような。。。
つまり、ただの粉を「薬です」と言うと効くというアレだ。


そのくせ、あんたらの教祖様はメイプルシロップ入りのクッキーを売っているじゃないか。こんな怪しいイラスト入りの菓子を買うよりも新宿辺りで可愛いスイーツを買った方が精神的に良い。

バウムクーヘン1

人には、「キリスト教の牧師やら仏教の僧侶なんかと挨拶するな。信じるな」とか言いながらも、そっちのがよっぽっど怪しい宗教やんかーーー。

1つの事に対して、こういう意見もあるし反対の意見もある。だからストレスにならない物を取り入れる。これが一番だと気づいた。

さてさて。

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今回、こちらの本を読み、大いに納得することも多かったが、100%はこの人の言う通りにはしなくてもいい。自分流で、という自分がいる。

私は、数年前に「もういつ死んでもいいや」と、殆どの自分の物を捨ててしまった。粗大ゴミの申し込みは頻繁だった。
当時の私は本当に独りだったし、「捨てる技術」とか「断捨離」とか流行っていたのもあった。その本を100%信じたのだろう。

だから、大好きな森村桂さんのケーキの本、奥薗寿子さんの料理本も捨ててしまった。
で、先日、Amazonで中古を買ったというバカだ。

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Amazonで購入した中古本は、サイン入りだった。全く手垢の付いていない新品同様が安く手に入り、森村桂さんのサインまであって幸せ。

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伊藤先生の言わんとすることは、
捨てるということではなく、今あるものを大事にする!
ということである。
これは、考え方そのものを変えることだ。
例えば、先生は便利な掃除グッズなどを勧めない。ある物で掃除する。
タオルでも要らなくなったトレーナーを切ったり。

こちらでは、岸本佳代子さんが着なくなったフリース素材の服を切って床掃除をされていた。

そうなのだ。ネットに勝手に流れて来る情報を観ると、100均で見つけた便利グッズだのあり、可愛いし、安いと思い買ってしまう。
だが、特にそんな必要はないかな、とも思う。

著者は、「床磨き」の必要性を書かれていた。掃除機をかけるではなく。
ということで、今日は仕事から帰宅して、息子と私の部屋の掃除を。
床を磨いた。掃除機は使わない。あまり物も捨てない。
そう、本は借りたらいいのだ。

最近の若い人は簡単に物を捨てるな、とは仕事中に私が常々思っていることだ。
1回くらいしか使用していない洗剤、まだ中身があるのに捨てるペットボトルやら。
オバサン、腰が痛くなるから、ペットボトルや瓶の中身は捨ててから出してくれ、と張り紙するも効き目なし。日本語がわからないらしい。
まだ新しい服もじゃんじゃん捨てている。
多分、平成生まれは物に執着のない世代なのだろう。
思い入れというものもないのだろう。
iPhoneが新しくなったから買うううう。なんてツイートをよく観るが、完全にヘタレるまで(充電が出来なくなったらアウト)アンドロイドを使う私には別世界。
今は、彼らの出したタオルやらシャツなどは、しっかりと掃除用に使わせてていただいている。

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ただ、私の場合、「捨てる」ということは必要なのだ。バカなので、買い物の間違いを頻繁にする。そんなに収納スペースもない。
ということで、使いにくい両手鍋を今日捨てた。
可愛いだけだったのだ。取っ手部分も金属なので熱いし、不衛生なので鍋掴みを以前捨てた。片手鍋や取っ手は金属出ない方が使いやすい。

つまり、他人の言う事を100%従うことなく。
ダイエットなどでも依存関係になると、リバウンドがある。
自分のやりやすいようにストレスなくだ。

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