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舞台、俳優、表現とは何か?その深遠な考察〜郡司正勝「歩く」より③

こんばんは!本日もおつかれさまです。

ベリーダンサーのShala(シャーラ)です。

近々、5/22神楽座セッションハウスにてダンス公演『ENTER HEAVEN』を控えています。このたび、座席数をさらに縮小し開催することとなりました。

ワークショップで紹介したこちらの郡司正勝著「歩く」という本の中から印象的な文章を引用して綴っています。

舞台とは何か、どのような空間のことを言うのか、俳優とは何か、といった日本古来の伝統を踏まえた含蓄のある考察、けれども短い文章に心打たれてからはや20年以上が過ぎました。

少しは経験を重ねた今再び読んでみても、素晴らしく納得します。

本日は、表現とは何かということについて。

p.16〜17

表現について

 表現するということは、捨てることである。
 捨てる瞬間に、舞台の表現は立ち上る。
 表現するものを、何を捨てるか、どう捨てるかが、その精神と行動である。
 それは、日常のリアリティのことではない。舞台という空間、次元の世界のことである。空間というと、あまりにも用語的概念語となってしまったから、「空」と置き換えた方がいいのかも知れない。あるいは「気」でも「無」でも「間」でもよい。やはり同じことか。
 とにかく、その空間を生きること、生れることである。
 それは、その瞬間にみせる「生きること」の幻影であろう。「生死一如」と仏教ではいうが、生と死は、別々の存在ではなくて、生と死が、一瞬、一つであることの証明を舞台の上で、表現というかたちで実現させることで、表現ということは、生きたまま死に、その瞬間に生まれるものの一瞬のキラメキをいうのではないか。
 テーマはその仕掛けにすぎない。

何度でも読みたくなります。

初めて読んだ時、とても衝撃的でした。捨てるとは一体何を捨てるのか、などと考えました。捨てるほどの土台も厚みも何も持たなかったので。そこに何やら潔さのようなものを感じていました。

生と死が一つというのは、日常生活の中にあってはなかなかリアリティとして感じられないけれども実際にそうなのであり、今ならば分かります。舞台の上で、私もその扉を行き来しているように思いますし、そのような場面が盛り込まれた作品ばかりを作っていることに気づきます。

また、「表現ということは、生きたまま死に、その瞬間に生まれるものの一瞬のキラメキをいうのではないか。」とありますが、この一瞬のために人生を捧げてしまうのが、表現者であり舞台人なのだと思います。この一瞬のために、ほとんど命を懸けてしまうのが。

最後に、「テーマはその仕掛けにすぎない。」というのは、まるですっかり見透かされているうでドキッとします。これが、今の感想です。

今もまた、そしてこれからも何度でも読みたい言葉の数々なのでした。

それではまた!綴って参ります。

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歩く 増補改訂版


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