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これは前世の記憶なのか〜2024韓国滞在記

今年1月末に初めて韓国に行ったのですが
その滞在中
何度も不思議な感覚におちいりました。

後から考えてみると
これは自分の前世と関係していたのかもしれないなと。

いつかヒプノセラピーでも
韓国(朝鮮?)にいた時の前世を見てみたいなと思います。

今日はその時のことを書きました。
ちなみにめーーーーっちゃ長いです。(3300字くらい!)

ではどうぞ〜⬇️


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私が初めて韓国を訪れたのは、今年の1月。
韓国は日本国内へ旅行するのと変わらないくらい近いのに、今まで一度も足を踏み入れたことはありませんでした。それはなぜかというと、漠然とした怖さがあったからです。


どういうものに対して怖さを感じていたか、言葉ではうまく説明できないのですが、今となって考えてみると、それはとても不思議な話ですが、自分の過去世と関係していたからではないかと思います。


そんな感情を抱いていた私ですが、韓国へ行きたい!と強く思うようになったのは、韓国ドラマの影響です。それも元々は韓国ドラマを観ることさえ憚られていましたが、ある時、韓国人俳優のコン・ユさんが出演されていたドラマを観て、これも本当に不思議なのですが、突き動かされるように「韓国へ行かなければ!」と思ったのでした。それが昨年の12月のことでした。


今回は航空券を取るよりも前に、滞在先を決めました。韓国のことはあまり知らないはずなのに、韓国の伝統家屋、韓屋の宿に泊まりたいと思ったのです。いくつか候補がある中で、ピンときたのが、北村にある楽古斎ソウルという宿でした。賑やかなエリアではなく、自然も近くに感じられ、景福宮と昌徳宮のちょうど真ん中あたりに位置しています。すっかりとりこになってしまいました。


さあ!宿も予約し航空券も予約し、温かい服をスーツケースいっぱいに詰め込んでいざ韓国へ!



渡航当日、飛行機に乗り込み、ワクワクする気持ちと共に離陸の時間を待ちます。コロナ禍を経て、自由に好きなところへ行ける喜び。解放感。韓国に着いたら何しよう。と、最初はそんな気持ちでした。

それがだんだん離陸の時間が迫るにつれて、よくわからない感情が湧き上がってきました。気がつけば私の目には涙が溢れ、嗚咽しそうになるほどでした。この感情は一体何なのか。こんなふうになるのは初めての経験でした。



嗚咽状態をこらえた状態でやっと到着した、韓国ソウル。
これから一体どんな日々が待ち受けているのか。不安と楽しみとが入り混じっていました。
空港から宿へ直行しました。


ここに絶対きたいと思っていた宿。
一歩足を踏み入れ、そこでふと感じたもの。
それは懐かしさと安らぎでした。もちろん、その宿の雰囲気やスタッフの方たちの心配りもあったでしょう。しかしそれだけではない、これもまた懐かしさとか安らぎという言葉だけでは言い表せない、不思議な感覚でした。強いて言えば、その感覚に似ているのは、実家に帰ってきた時に母と近況報告をしあう時、かもしれません。心のホームタウンともいうべきでしょうか。何か強い縁を感じました。



次の日からはその宿を起点に、いろいろなところへ出掛けてみました。私は仕事が漢方薬を扱う薬剤師なので、韓国の伝統医療にも興味があります。まずはよもぎ蒸しのサロンへ行ってみました。


よもぎ蒸しはとても体が温まるし、それ以外にもたくさんの薬理効果があります。年々ホルモンバランスが崩れてきているのを感じていたので、この体験はとても良いものになりました。

ここのサロンの社長がとても親切で、私の職業を伝えたら、ソウル薬令市場に行くといいよと教えてくれました。しかもそのサロンから市場までの行き方を細かく教えてくれて、おすすめのお店まで教えてくれました。もしわからなかったら連絡ちょうだいね、もし何か困ったことがあったらいつでも連絡してねって連絡先まで教えてくれる。商売の域を超えた人間同士のつながりを感じて、心まで温かくなりました。


印象的だった出来事はもう一つあります。

眼鏡屋さんでの出来事。サングラスを買いに日本語も話せるオーナーさんのお店に行きました。そこで素敵なサングラスをお勧めしていただき、購入することを決めました。
私はなるべくなら現金で支払いたいと思っていますが、その時はちょうど手元に現金がなかったので近くのATMで下ろしてくることにしました。ところがその銀行のATMで操作を始めると、操作画面がフリーズして進まなくなってしまいました。画面には「しばらくお待ちください」と韓国語で書いてある。でも待てど暮らせど変わらない。よくATMの横に銀行内部と話せる電話がついていますが、それを取ってみてもつながらない。たとえ繋がったとしても韓国語が話せない。


だんだん冷や汗が出てきました。もういっそのことそのままにして帰るかとも思いましたが、とりあえずトラブルが起きていることを眼鏡屋さんに伝えようと連絡をしました。


すると、なんと眼鏡屋さんが走ってそのATMまで来てくれたのです。店を別の人に任せてわざわざ私のために来てくれたのです。本当に神かと思いました。涙が出そうでした。結果、その眼鏡屋さんが銀行の方と話してくれて、無事にカードが戻りました。

はて、私がもし逆の立場だったら、ここまで人に親切にできるだろうか。サロンの社長同様、損得関係なく知らない人にここまでできるだろうか。そんな人柄に触れて、自らを省みました。


私はこれまで様々な国を旅してきましたが、ここまで親切にしてくれる国はあっただろうか。私が今回体験したのは、店員から顧客へのサービスとはまた違って、困っている人がいるなら助けるという、ごく自然な人間の行動のような気がします。なのに、温かいと感じたのは、こういった心が今の日本からは失われているということなのかもしれません。



さて次の日には景福宮へ行きました。韓服をレンタルして着付けしてもらいました。韓服は初めて着ましたが、何だかとても心がウキウキしたのです。嬉しすぎてここでもなぜか泣きそうになっていました。一人旅だったので、はしゃぎぶりは少なめだったと思いますが、あの日の景福宮では人一倍浮かれていたのではないかと思います。


別日には昌徳宮にも行きました。ここは現代服で。景福宮では感じなかったのですが、ここは何か特別な空気を感じました。歴史的な背景もあると思いますが、この地のエネルギーでしょうか。後苑のガイドツアーも良かったです。残念だったのは草木が冬モードだったこと。きっと5月あたりから綺麗なのだろうなあと思って巡っていました。

そのガイドツアーも終わりかけの頃、また不思議な感覚に包まれました。
そこで浮かんだ言葉が

「ここでは悲しい思いもしたけれど、幸せな思い出もいっぱいあった」


というもの。


私にはスピリチュアルな力があるとは思っていませんが、ここで韓服をきた女性がふっと浮かびました。12〜13歳くらいでしょうか。ピンク色のチマでした。楽しそうに弟と思われる男の子と笑い合っている、そんな姿でした。こんなシーンがいきなり浮かんでとても驚きましたが、それはもしかしたら自分の昔の姿、過去世の姿なのかもしれないと思いました。



そこで点と点がつながった気がしました。なぜこれまで韓国に行くのを怖がっていたのか。なぜ飛行機に乗ったら湧き上がる感情に嗚咽しそうになったのか。なぜ初めて訪れた宿に懐かしさを感じたのか。なぜ韓服を着て嬉しかったのか。


これはもしかしたら韓国で悲しい思いをした過去世があったからなのかもしれないと。
でも過去世では幸せな思い出もいっぱいあったから、生まれ変わった今、またこの地を踏みたいと感じたのかもしれません。実際、こうして韓国の人々の温かさに触れて幸せを感じることができた。過去世でも同じように、人々の温かさに触れて、助けられた自分がいたのかもしれません。


6日間の滞在でしたが、本当にあっという間に過ぎてしまいました。
ご縁がある場所は他にもいろいろあるんだろうなと思っています。

この過去世の謎解き。また近いうちに再開したいと思います。

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