信じるということ

昨日、今日とコロナの影響でお仕事は休みになりました。

聞き取れなかった部分もあるのですが、カナダが緊急事態宣言をしているので、ということもあるのでしょう。

街を歩いてみても人は少ないです。3ヶ月経ってカルガリー生活に少しは慣れてきたとはいえ、この目まぐるしい変化には驚かされます。

つくづく、全く予想もつかないことが起こりますね。カルガリー留学中に世界的にウイルスが大流行するなんて1ミリも考えつきませんでした。

未来は読めません。予想はできても、そのとおりには行かないものですね。


そんな今日思ったことをお話します。


今日、たまたまスーパーへ買い出しに出かけようとしたときです。電話をしていた大家のRandyとすれ違いました。私が出かける姿を見て、

「どこいくんだ?送っていくよ、2分まってて」

と言われて彼はトイレに行きました。


彼は普段待ち合わせの際、2分後な!とか7分後な!とかすごい中途半端な時間の区切りを言ってくるのですが、時間通りに来ることは稀です。

今回は2分程待っているときに、考えました。

「Randyは忙しそうに電話してたし、俺が1人で行きたいだけだから、まあいいや、1人で行っちまおう、戻ってきて私の姿がなかったら向かったんだなと思ってくれるだろう。」

というわけで歩いて向かうことにしました。歩くと、片道20分かかる道のりです。

5分ほどご機嫌に歩いていると後ろから猛スピードで見慣れた車が・・・

Randy、わざわざ迎えに来てくれました。

自分だったら、声をかけたのに、さっさと一人で行っちゃってたら、そのままほっておいちゃうのになあと思いました。

それなのに彼はわざわざ迎えに来て、彼は何も買わないのに私の買い物を車の中で待っていてくれました。

心が暖まるのと同時に、言葉以上の感謝を伝えたい気持ちになりました。

そして、時間通りに来ないだろう、と、Randyを信じなかった自分を恥じました。

もし自分が、逆の立場で同じことをされたら、些細なことかもしれませんが信じてくれなかったんだなと思って少しさみしくなると思います。

裏切られるのが怖くて他人を信じない生き方では、自分も同じように信じてもらえない。

のかなーなんて思いました。

自分だったら、自分のことを信じてくれる人のことを信じたいし、応援したくなると思ったからです。なんとも単純なことに気づきませんでした。

そして、自分というものを受け入れて、信じていないと、人も信じることができないのだなと思いました。

DaiGoさんの動画でもあります、セルフコンパッションというやつですね。

私は結構自責グセがあるので、セルフコンパッションを高めて、やらなければいけないのに先延ばしにしてしまう、「先延ばしの悪習慣」や、自分を許す事ができるようになり、残りの限られた人生の中でできることを増やすため、健康的に生きるために瞑想を取り入れています。

3ヶ月前よりも確実に感情のコントロールがしやすくなったと感じています。

誰でも簡単に信じちゃうのはどうかと思いますが、誰でも疑ってかかってたら信じるも何も、疑われたら敵としか思えません。

自分がやられても同じです。

人を信じるのは勇気がいることです。

今日、信じてみようと思わせてくれたRandyの行動に感謝します。

信じたいと思った人をとことん信じていこうと決めた日でした。


余談ですが・・・


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カルガリーで緑茶飲みたくなったらコレおすすめです。COOPやスーパーで売っていると思います。

美味しい緑茶が飲めます。

カルガリーに到着後、どうしても飲みたくなったら是非!!


それでは!!