見出し画像

空(くう)の世界

仏教の“空”。

この空の理によってこの世界のあらゆる事柄を説明できてしまいます。

「この世の全てを知りたい」と思ってきましたが、もうこの“空”の理ひとつで十分説明できると思うに至りました。

大切な“空”について簡単にまとめます。

そもそも“空”とは

“空”は仏教思想の根幹をなすもので、仏教において最も大事な教えなのだそうです。

“空”はこの世の全てが生じる場所のことです。

この世界を構成する万物万象はこの“空”で生まれます。

どのように生まれるかというと、ある存在が単独で生まれるわけではありません。

万物万象は常に何かとの相対的な関係性の中で生まれて存在します
これを“縁起”といいます。

いかなる物事も原因と条件があって成り立っているということです。
つまりこの世に、絶対的な存在は無いということになります。

では万物万象とは何か。

この世界を構成するものは五蘊(ごおん・ごうん)で表されます。

 色(肉体)
 受(感受)
 想(想念)
 行(意志)
 識(認識)

この五蘊に固定的な実体はありません
絶えず関係性によって変化するものなのです。

つまり、この世界の全ては事象なのです

物体さえも固定的な実体ではない事象です。
体も突き詰めてゆけば細胞、分子、原子、素粒子…となります。
生体において細胞そのものも入れ替わりが起こっていますし、細胞を構成する細胞質成分も入れ替えが起こっています。


五蘊という事象は“空”において生じます。

そして、縁起(相対的な関係性)によって起こります。

“五蘊皆空”といいますが、五蘊は全て空(無)なのです。

この世界の構成要素に絶対的な存在はないのです。

すべて移り変わる“無常”のものなのです。


この五蘊に執着すると、“苦”が生まれます。

“苦”とは、一言でいえば思い通りにならないことです。

執着を手放し“苦”から解放されるには

五蘊を観察することです。

ただただ観察して、受け止めることです。
認めたく無いことも認めることです。

(観察して気付いたことに対してジャッジを加えることは再び五蘊に囚われることになります。ジャッジせずただただ観察をして受け止めます。)

自分をまっすぐに観察して
肯定も否定もせずに受け止めます

ありのままの苦(思い通りにならないということ)を認めて受け止めるということです。

“苦”を無かったことにしたり、逃げたり避けたりするのではありません。
楽チンを選ぶのではありません。
思い通りにならなくていいや、というのも違います。
相手をどうこうするのではなく、自分を見つめるのです。

苦があっても大丈夫なのです。

まずはどんな自分も受け止めることからです。

昨年の最後に何度も瞑想に出てきた謎のイメージは、まさに空の世界だったと今年になってから分かることになりました。
仏教などさっぱり縁遠い世界だと思っておりましたが、とても腑に落ちました。
今年のテーマは“空”かな。
今年の私はこのイメージからお話ししたり書いたりすることになりそうです。
そのためには、ますます自分をみつめる一年になりますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?