なぜ、ツクヨミさまは秘されてしまったのだろうか?

なぜツクヨミさまは秘されてしまったのだろう?このことを考えるとき、前提条件があります。それは、卑弥呼さんが邪馬台国を統治していた時と、台与さんが国を治めるようになった時では、邪馬台国の規模などが全く違っていたということ。

水野正好氏らによる「邪馬台国(やまとこく)」の中で、ヒミコさんとトヨさんでは、時代が違うということです。著書からお借りすると。

『卑弥呼の治世は弥生時代で邪馬台国連合は西日本を中心とした連合、台与の治世は、古墳時代ということで西日本と東日本を含んだ広域連合です』

このように書かれています。この部分は、大阪府近つ飛鳥博物館館長(執筆当時)の白石太一郎さんが書かれています。この方は、邪馬台国は大和国(畿内)説を支持されています。

私は、邪馬台国がどこにあったのか? ということを一番の目的にしていませんから、この部分については深く書きません。あしからず<(_ _)>

で、話を戻しますと、ヒミコさんとトヨさんの時代では、邪馬台国の規模が変わっているということですね。ヒミコさんの時代は、稲作農業が大陸から伝わって、生産経済が始まった時代。

トヨさんの時代は、ヒミコさんの時代から始まった小さな村や共同体が、より大きな村や共同体に吸収され、さらに広範囲で吸収・統合が行われていった時代なんですね。

ですから、女王の地位とか権力も大きく変わっていった、と考えられます。当然、トヨさんのほうが、大きな力を持っていたと。ただ、これは周りの人から見た力の違いではありますが。

ツクヨミさまからトヨウケさまに変わった理由とは?

ここで、以前にもご紹介した「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」。「先代旧事本紀」には、伊勢に鎮座する方について、以下のように書かれています。

伊奘諾尊が、御身をすすがれたときに、三柱の神が生まれた。
左の御眼を洗われたときに成るところの神は、天照太御神と名のる。
右の御目を洗われたときに成るところの神は、月讀命と名のる。
五十鈴川の河上に並んで座す、伊勢に斎き祀る大神という。

アマテラスさまとツクヨミさまが、イザナギさまから生まれたときは一緒にいた。そう、ヒミコさんとトヨさんは、同じように崇敬されていたのです。

でもです。先にご紹介したように、ヒミコさんとトヨさんには力の違いがある、と考える人が多かった。当時の日本では、アマテラスさまを一番と考えていた(今もそうですが)。だから、並び立つツクヨミさまのほうが力が強いのは困ると。

なぜ力が強いと考えたのか、それは月の神、太陽の神、といったものではなく、先にもご紹介したように、国家の大きさというものが関係していたのでは。

で、ツクヨミさまをトヨウケさまに差し替えた。なぜ、トヨウケさまにしたのか? 2つの理由があると考えます。

ひとつめは、全く違う方を連れてくるのはさすがにまずい、と考えたからです。だから、トヨさんのもう一つのお名前であるトヨウケさまにした。このように考えるのが流れ的に良いのでは。

トヨウケさまにしたもう一つの理由は、トヨウケさまも月に関わる神様だから。三浦茂久氏は、その著書「古代日本の月信仰と再生思想」で、ウカ・ウケの神は月の神であると書かれています。その理由として、フツカ、ミッカというカ(ウカ)は、月夜の日数のことだからだそう。

つまりです、ウケ・ウカという名を持つ神様は、月にまつわる神様ということなんですね。「トヨウケ」のウケがそれですね。よく分からない? 私なんとなく分かるんだけど・・・。ごめんなさい、もっとわかりやすく説明できればいいんですけど・・・。

ツクヨミさまが秘されたことでどんなことが起こったのだろう?

世の中のバランスが崩れたのではないでしょうか。

日と月が並んで祀られることでバランスが取れていたのに、日が主で、月が従、となったことでバランスが崩れてしまったということです。

アマテラスさまとツクヨミさまは、もともと伊勢の五十鈴川の河上に並んで祀られていた。つまり、一か所におられたということ。それから約500年後、時の天皇が外宮を創建し、トヨウケさまがお祀りされたんですね。そのお役目は、アマテラスさまの食事などのお世話。ここで、上下の関係ができたということになります。

上下の関係になってしまったことをツクヨミさまはどう感じただろうか?そのことは「歴史から消されてしまったツクヨミさま。そのときどんな気持ちだったんだろう」という記事にも書きましたが、悲しいという気持ちはあったでしょうが、怒ったり、恨んだりするようなことはなかったと。詳しくは「歴史から消されてしまったツクヨミさま。そのときどんな気持ちだったんだろう」をご覧になってくださいね。

話がそれました。戻します。

バランスが崩れるというのは、人が自然に敬意を払わなくなった、人こそがすべての頂点に立つ、といったような考えに傾いていったということ。

日本の信仰は、自然への敬意がもとになっていました。今でもご神体は山とか巨石という神社があります。ツクヨミさまがアマテラスさまとともに、五十鈴川の河上に鎮座されたときは、日と月というすべてに力が及ぶものに対しての敬意が払われていたのでは。

でも、アマテラスさまだけをお祀りするようになり、自然への敬意が少しずつ失われていった。

その結果として、人が一番という考えが強くなり、人の利益を中心に考えるようになり、自然破壊や温暖化といった、私たちが住みやすい環境すらも失いつつあるということになっていったと。

そして、その先どうなっていくのか? 哲学者で、文化勲章も受賞した梅原猛さんは、昭和63年の東アジア知識人会議で、自然への敬意を忘れた人々が行きつく先は、滅亡ではないかと危惧しているとおっしゃっています。

そして、そのような未来を避けるには、もう一度自然への敬意を取り戻すことが必要とまとめられていました。

ちょっと怖い話になりましたが・・・(^-^;

ツクヨミさまが秘された理由は置いといて、もう一度バランスを取り戻すために、ツクヨミさまに目を向ける(うわっ!偉そう(^^ゞ )というか、手を合わせるということが大切なのではと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?