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2つのフェミニスト

北極生まれのゼラチンペンギンだよ。

フェミニストについて、個人的な見解を書くよ。ただの想像だよ。

一つ目のフェミニスト

よく一般的になんだかんだ嫌われるフェミニスト。フェミニストと自称する人がいたら、距離を取りたくなるようなことありませんか?

ありますよね?

ない?

それは幸いなことですね。

一般的にフェミニストって面倒そうな人と思われがちです。実際そうでしょうか?

ええ、その通りです。面倒な人です。なんでか?

フェミニストが求めるものはそれは常識とか社会通念の破壊であり、改変です。それを求めないのであれば、フェミニストではないでしょう。

女性の権利拡張、女性の性的画像の表現の廃止などなど・・・

これらは今まで、当たり前として見過ごされてきたもの。

それを女性側から声を上げて改変をしようとするものです。

だから別に、性的画像がそもそもを排除したいのではなく、その背景にある社会通念がおかしいと考えるのです。

それを改変したい為、社会通念を批判するのです。

だから、常識外れになるのは当然のことであり、それに躊躇することはいまさらありません。躊躇したら、常識は常識のままです。フェミニストの苦しみは続きます。フェミニストになろうとした瞬間から、非常識なもので社会通念より逸脱したものなのです。

非常識であることを批判しても何の意味もないのです。社会通念から逸脱しているから批判してもどうしようもない。元々逸脱しようとしてしてるのだから。

これがフェミニストではないでしょうか?

さて、ここから一人目のフェミニスト。

社会通念は社会という集団の中で生まれます。それは同調圧力を使い、虐げられる人を生み出します。

社会通念を破壊したいフェミニストはどうするか?

フェミニズムに賛同するフェミニストが集まって、新しい集団を作り、その中で新しい常識を作ります。新しい常識と社会通念による、古い常識と社会通念の上書きをします。

時々、萌え絵などを叩いて、炎上します。炎上することは大事なことです。炎上することで団結が生まれ、集団力が増すのです。社会通念を強めることができますね。

もしフェミニストの集団から外れるフェミニストに対しては、フェミニストの常識を理解していないと非難します。同調圧力による非難ですね。この積み重ねを行うことが集団の常識と集団ルールを生み出すのではないでしょうか。

でも、やっていることは実はフェミニストの非難する社会と同じことをやってしまいます。常識や社会通念により苦しむフェミニストを、フェミニストの集団の常識と集団ルールが苦しめます。

そのことに気付いたフェミニストは、フェミニストと名乗ることを辞めたり、フェミニスト集団から距離を取ろうとします。

ここに二人目のフェミニストが生まれます。

二人目の元フェミニストやはぐれフェミニストはフェミニスト集団の常識や同調圧力を否定するものではないでしょうか?

フェミニストが苦しんだ社会通念や常識を改変しようとするのに、新しい常識を作くり、その常識による同調圧力を持ちいて、フェミニストを苦しめることを滑稽に思えてしまうからです。

ただ、フェミニスト界隈外の常識的な一般人はそれは仲間内争い、内ゲバに思えると思います。ただ、日本社会という目でみれば、フェミニストの批判も日本社会の内ゲバですけどね。。。

おそらく、そのような状況を見て、アンチフェミニストはフェミニストを見て、一人一派であると指摘しました。

ここで、フェミニストのでの対応が分かれます。

一人目のフェミニストは、集団としてフェミニストの常識から、その言葉を否定します。

二人目のフェミニストは、元フェミニスト、もしくは、はぐれフェミニストとしてその言葉を賛同します。

人とは、考える方の異なる他者です。

一人一派でもいいと思います。というか、一億人一億派であるべきじゃないでしょうか。それぞれを尊重し合うそれこそがフェミニストが求めることであり、そうなった社会が社会通念を改変した世界な気もしますね。

二人目のフェミニストが求めることは、同調圧力のない社会なのかもしれませんね。

そんなことを考える水族館のアイドルでした。




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