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フェミニストが暴く社会の歪み ※修正 10/17

千葉県のフェミニスト議連が、千葉県警のvチューバを使った広報動画に抗議した。その抗議を受けて、千葉県警が該当の動画を取り下げた。その後、アンチフェミニスト達が抗議のネット署名を行う。

Twitterフェミニスト目線から今回の件を考えた。

①フェミニスト議連の抗議は不当だったのか?

アンチフェミニスト達がフェミニスト議連の抗議について、不当な内容だと指摘する。

果たしてほんとうにそうなの?

会見では県警の動画について、「肌を露出し、大きな胸が揺れます。極端なミニスカート。子どものための交通安全の動画にこのようなキャラクターが本当に必要なのか。不要なアイキャッチャーとして使われているんじゃないか」と指摘した。             --前述の東京新聞より

そうとも言える意見だし、そうでないとも言える意見であり、この程度はそう見える人がいてもおかしくないと思う。

大きな胸が揺れていないという点を指摘するアンチフェミニストもいるが、揺れている風に見えたという個人的、もしくは、ある程度の集団の意見としてある話。それが社会全体とか、世間一般に意見とするかはまた別な話。

これはある表現に対して、それをどう思い、それをどう表現するかは正に表現の自由内の話。これはそう見てはいけないと言えないし、それを強制することもできない。内心の自由と表現の自由だよね。

しかし、アンチフェミニストは根拠のない不当な抗議だと言う。

敢えてここはアンチフェミニストの意見を尊重して不当な抗議だとしよう。

②千葉県警がなぜ取下げした?

さて、取下げた県警はなんと言っているか?

 県警の担当者は削除の理由について、本紙の取材に対し、もともと動画の期限が9月17日までだったことに加え、「部外からキャラクターが不適切ではないかとの意見があったことや、子ども向けの動画としていた製作したのに、本来の意図とは異なる形で興味本位に受け取られてしまう懸念が出たため」と説明している。意見の中に、議連が含まれるかどうかは明らかにしていない。              --前述の東京新聞より

9/17まで公開予定だった動画を9/9付で削除した。議連の抗議については直接の取下げ理由とはされていない。もちろん、誰何のせいですとは言えないし、それを必要な事だと判断したのは警察自体である。

ここに不法な圧力があったんだろうか?

元々の抗議文は抗議、謝罪、動画の削除と動画の意図について質問をしている。

https://www.facebook.com/afer.fem/photos/a.1263766637066334/4215714258538209/?type=3&theater

謝罪を不法な圧力と取るべきなのであろうか。でも、謝罪を要求するクレーマーはどこにでもいる。とかく、現代は謝罪を要求される社会になったもんだ。

もし、警察がこの抗議内容を不当だと感じるなら、本来は毅然と断るべきで、予定通りvチューバの動画を公開し続けるべきだった。

それでもなぜ、屈したのか。

警察はフェミ議連よりも、抗議を無視することで、その後に社会から叩かれること、その面倒に巻き込まれることを懸念して、表現の自由や正しいかどうかより動画を削除したのではないかと推測する。社会的な正義よりも空気を読んで周りに合わせようとした。

③不当な抗議で不当な要求が通る社会の歪み

アンチフェミニストの言うフェミニスト議連の抗議が不当な抗議というならば、その不当な抗議に従った警察は不当な要求に従ってしまうことになる。本来、社会の秩序を守るべき公権力が、空気を読んだからと言って不当な要求に従ってはいけない。しかし、日本社会では正当性よりも空気感が重視されそれを誰もおかしいことと認識しないこれが日本社会の歪みと言える。まさに、フェミニストが是正したい空気感による歪み。

また、アンチフェミニスト自身の考えが不当だとしよう。不当な考えなのに、67000人もネット署名をして、フェミ議連に公開質問状をなげ、回答をさせてようとする行為もまた、社会の歪みではないか。公開質問状に署名数は関係ない。人数で関係するのは、公開質問状の内容でなく、多数派が、少数派を叩くときに人数がものを言うだけである。それは内容が正しいかではなく否定的な空気感を作り上げたいからとしか思えない。そして、それが社会を歪める。公開質問状なんて、内容次第で一人で十分であり、どちらにせよ相手がどう回答するかを、署名人数で変わるならおかしいことではないか。

どちらにせよ社会の歪みは厳然とあるようにTwitterフェミニストは感じる。今回の事件はネトウヨうやオタクが過去表現の自由を炎上させてきたことをフェミニストがなぞられてやったようにしか思えない。空気感や同調圧力で有耶無耶してきた正当性を無視した、多数派による表現の自由の侵害をフェミニストが敢えて模倣する事で、アンチフェミニスト達の目の前に歪みが提示されている。

それをネット署名した67000人は目撃した。そして、義憤が駆られて抗議した。

フェミニズムが社会運動ならば、社会運動とは人々の意識を変えること、漫然と問題ないと思っていた社会に問題であると認識させ、変革させるが目的である。人々の意識を変える為には、どうしたらいいか?

個人的には論理的に説明することよりも情に訴えるよりも、社会の歪みを提示して人々の正義に火をつける方が早いのではないかと思われる。

フェミニストはその行いによって、社会の歪みを提示した。社会に一石を投じたので、オタクやアンチフェミニストから叩かれる。しかし、元々社会に反するフェミニズムなのでいつもの事ともいえる。

結局、ここで問われているのはネット署名した67000人のそれぞれの正義であり、それを問わせた行為そのものが社会運動とも言えるのではないかな。フェミニストが起こした事件がアンチフェミニストの良識を問うことになるわけだ。日本社会はこのように歪んでいるわけだが、アンチフェミニスト達はどうするのだろうか?

この歪みを無視するのもいいかもしれない。今までもそうやって敢えて意識に上らせずに、多数派が常識だからといって、何も考えずに生きて来たのだろう。今まで通りで何も変わらない。ただ、この場合は社会の歪みを自身の歪みとして受け入れるのであろう。日本社会の歪みがあると認識してしまった以上は。

67000人の正義が今問われるw



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