人生初のインフルになった話


二十数年生きてきて、
初めてインフルエンザになった。

私の唯一の自慢が、コロナ・インフル・おたふく・食中毒・胃腸炎など、高熱が出たり痛みで苦しむような流行病になったことがないというものだった。

最近熱を出したと言っても、だいぶ前に打ったワクチンの副反応のみで、風邪を引いても高熱まではいかないので、インフルエンザにはとにかく恐れ慄いていた。

ある日の夕方、頭痛と喉の違和感、ひどい倦怠感が襲った。「立ってられないほど辛い」というわけではないのだが、ずっと電車で座っているだけで横になりたくなる怠さ。
それから何故か肌が痛い。全ての毛穴に針を刺されたような痛みだった。

翌日、近所の病院は予約でいっぱいで行けず、立ち上がる元気もなかったので、夜になってからなんとか病院に行った。

初めて行くその病院は、とにかく綺麗だった。
全体的に茶色っぽい壁で、天井や床、受付のテーブル、扉などは白っぽく、ツヤツヤキラキラしていて、ここは歌舞伎町かと思った。

事前に電話していたので、隔離室みたいなところに行くと、寝転がれる簡易ソファと絵画があった。
絵画を見ても、わあ四角い…としか思えなかったので、多分この時が一番熱が高かった気がする。

問診票を書いていると、防護服を着た看護師さんがプリキュアのように続々と3名入ってきた。1人は採血、1人は鼻に棒を突っ込み、1人はよくわからない機械を指に挟んで、次々に検査をしていた。

おかげで検査が秒で終わってびっくりした。注射が全く痛くなくて、看護師さんの大ファンになった。
次病院に行くときに、「注射打って❤︎」と書いたうちわを持って行かないように気をつける。

検査結果を待っていると、お隣の部屋に患者さんがやってきた。慢性的な胃腸の痛みだそうで、そのあとすぐ検査になっていた。お大事に…と思った。発熱しているお前が言うな。


再び訪れた沈黙の中、ぼーっとしているとお医者さんがやってきた。カーテンから顔をだし、「検査終わりました!!」と元気に言っていた。
なすなかにしの那須さんに似ていた。顔を出したその姿が、どことなくシャイニングだった。

那須さんに似ていたので、ナスニングという言葉が思い浮かんだ。とてもくだらない。


「結果伝えますね!」と言うと、カーテンを開けて隔離室に入ってきた。防護服をちゃんと着ていた。そりゃそうだ。
防護服着てるのならシャニングを挟む必要はあったのかな…とぼんやり思っていると、
検査結果の発表があった。

「白血球〜12000!(数字は忘れたので適当)
  ⚪︎⚪︎〜5000!」
みたいな感じで、とにかく体内の何かの名称と数値を羅列された。難しかった。文字通り、検査結果の【発表】だった。

「うん、まあこんな感じなんだけど、注目して欲しいのは、白血球!!これ、正常は8000くらいなんだよね。で、あなたは12000!高いよね〜」
「はあ…そうですね…」
「でね、⚪︎⚪︎っていうのは5000!これはね、基準値なんだよね〜」
「はい…」
「つまりこれね、何かというと…なんだと思う?…‥これはね、ウイルス!!」

そして、検査結果の写真を渡される。
妊娠の検査薬みたいな写真だと思った。

「で、この写真見て!これ、線が入ってるよね。これはね、インフルエンザってことなんだよね。で、右側に線が入ってるよね。これは、なんだと思う?…そうA型ってこと!」

そんなコールアンドレスポンスみたいに、毎回「なんだと思う?」って聞かなくても…と思うほど、毎回一瞬だけ考察を聞かれた。

「インフルエンザの処置は3つあります!1つ目は…点滴!15分くらい病院で点滴したら終わり!2つ目は…飲み薬!!お薬を1回飲んだやそれで終わり!3つ目は…吸引!これはね…」
と、ロンハーみたいに治療法を発表された。
私が渡された写真は、奇跡の一枚なのかと思った。

「私インフルエンザ初めてなので分からないんですが…おすすめはありますか?」と聞いたら、「ふぅん〜」とちいかわのうさぎみたいな返事をしながら私の検査結果を見返しだして、その後なんの言葉もなくただシカトされた。
甲乙つけ難かったのかな。

値段も考慮し、飲み薬にした。
インフルエンザって、2つの薬飲むだけでいいんだ。あとは解熱剤や痛み止めなどだけなんだ。死ぬほど薬飲むのかと思っていたけど、拍子抜けしてしまった。なんだよ楽勝じゃん。

薬を飲んだらだいぶ良くなり、
次の日からは外出してはいけないのが苦になる程元気だった。多少の倦怠感以外なくなった。

もしまた何か急遽病院に行かなくてはならなくなったら、またナスニング先生に会いに行こうと思う。

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