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攻殻機動隊SAC_2045 最後の人間

の公開記念トークショーを見るために池袋に行ってきた。
その何日か前に川崎で同じ映画を見たばかりだったので、映画だけでもすでに2回、ネットフリックスのアニメ版も2,3回見ているので、すでに脳内でほぼすべてのシーンが思い出せるレベルである。

あらすじ(引用)

2045年。劇的なAIの進化により、世界は持続可能な戦争に突入する。草薙素子率いる公安9課は、突然現れた新人類たちの電脳犯罪阻止のために、廃墟の東京へ向かう。奪われた原子力潜水艦による核戦争の危機が迫る中、公安9課・米国・新人類がにらみ合う。

映画ナタリー(https://natalie.mu/eiga/film/194151)

あらすじを見てもさっぱりである。
攻殻機動隊について、という部分から話し出すと非常に長いため、
そういう人はどこぞの親切な人が書いた記事を広大なネットの中から探せばよいと思う。
オリジナルである士郎正宗氏のマンガ攻殻機動隊は1980年代に連載されたものだ。
当時は間の抜けた建設会社が東京に地上10000mのバベルタワーなるものを本気で作ろうとしていた。(コンペティターにあたる建設会社も似たり寄ったりなものをおっ建てようとしていたはず。)
一般的にバブル経済期と呼ばれる1986年~1991年ごろの、世間に浮ついた空気が漂っていた1989年、攻殻機動隊は世間に発表された。

オリジナルの攻殻機動隊は、こういった書き出しから始まる。

企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなるほど、情報化されていない近未来。
アジアの一角に横たわる奇妙な企業集合体国日本・・・・

士郎正宗「攻殻機動隊」より

当然のことながら、上記の書き出しから描き出される情景は、まさにサイバーパンクのそれだ。あり得る未来としてのサイバーパンクという世界の中の、あり得るかもしれない企業集合体国日本を舞台にしている。
その後、攻殻機動隊は押井守氏による映画『GHOST IN THE SHELL』『イノセンス』を経て、神山健治氏によるTVアニメシリーズ、いわゆるSACシリーズで、人気の絶頂を迎えるわけだが、
オリジナル、押井版、神山版では、作風がそれぞれ全く違うということが非常に重要である。
オリジナルでは先ほど述べた通り、そこには、プロローグにある通り、国家や民族の気配があった。
一方で押井版の映画には、よくも悪くも国家の気配はない。
彼はあくまでパーソナルな出来事を壮大に書いているのであって、
やっていることは恋愛映画である。
ちなみに誤解されないよう先に書くと、僕は押井版が最も好きだ。
そこに描かれる身体性や揺らぎに心酔している。
さて、話を戻そう。
押井版にはサイバーパンクとしての情景が(ある意味では拡大されて)描かれているわけだが、押井氏はサイバーパンクを「あり得たかもしれない未来」としては書いていない。作中の舞台装置の一つとして扱っているに過ぎない。「ほーら、すげえだろこんな町!」感漂うシーンの数々は、宮崎駿氏がトトロでやっていたノスタルジーの強制と同じである。
そういった意味で言えば、押井氏はサイバーパンクなど書こうとはしていないのだ。ただサイバーパンクを回避しようとしつつ、オリエンタルな情景を引っ張ってきてしまっているがために、結果的にサイバーパンク的な世界を描いてしまっているというだけである。

一方で神山氏の手がけたSACシリーズは、徹底的にサイバーパンクを回避している。理由は明快である。「サイバーパンクはやってこない」からだ。
ネットが星を覆い、電子や光が駆け巡っても、サイバーパンクのような未来にはならない。むしろ現実はその逆をひた走っている。
だから神山氏は、サイバーパンクを描かないのである。
SACに感じるチグハグなテクノロジー感は、そういったものに起因している。古き良き田舎の田んぼ道を思考戦車が爆走していたり、今作で少佐とトグサがシマムラ家を訪問している風景はどう見てもシュールなギャグである。
SAC_2045も神山氏のお得意な手法を使って描かれる物語である。
世界は我々(僕やあなた)が住まう「いま、この世界」の延長で、揺らぎを持つキャラクターは最低限に絞られている(SACではタチコマ、SAC_2045ではプリン)。初期SACで多く引用されていたのはD.J.サリンジャーの『キャッチャーインザライ』だったが、今作ではオーウェルの『1984』由来の単語が多く登場する。
出てくる数々の単語は難解ではあるが、物語の骨子はさほど難しくない。

①アメリカは世界経済を効率的かつ円滑に回すため(人類全体が末永く繁栄していくため)「1A84」という、とんでも性能のAIを作った。
②AIは戦争こそ最も効率的な経済行為であるとプログラムされていたため、サスティナブルウォー(持続可能戦争)を企画し、実行した。
③当初成功の兆しを見せていたサスティナブルウォーは徐々にその均衡が崩れていき、富のバランスに偏りが生じ始めた。
④その戦況を見たアメリカは次に、「世界経済を効率的に回しながらも、アメリカに利益が偏るようにしろ」と、1A84にオーダーした。
(どーせ富が偏るならウチらがお金持ちになるようにしてよ的なアレ。)
⑤1A84は「不可能」と答えたが、アメリカが無理にオーダーを繰り返し強制したため、1A84は一度経済をリセットし、相対的に目的達成を為すために「世界同時デフォルト」という超大規模金融事故を起こした。
⑥金融事故により、「経済行為としての戦争」は破綻し、世界では暴力を伴うモノホンの戦争が、緩やかに戦火を拡大していった。当然、金を持たない弱者(国や民族、組織)は地盤沈下を起こし、人類全体の繁栄は困難になった。
⑦アメリカは1A84の判断を「バグ」とみなし、1A84の凍結を検討、実行しようとした。
⑧1A84はアメリカから逃れるために、自分の種をネット経由で人間に植え付けた。
⑨その種が開花した人間は高度なAIに乗っ取られた(ような)「ポストヒューマン」となった。
今作の物語は時間軸的にはここからスタートする。
⑩ポストヒューマンは当初のオーダー(人類の恒久的繁栄)を達成するため行動を起こし始めた。
それは世界中の人々をNという二重認識状態にし、現実を生きながら、それぞれ個人が理想とする夢の中を生きているようにするというものだった。

以上がごく簡単に要約した最終シーンに至るまでの今作の物語である。
僕が一見してよくわからなかったのは⑤と⑧、そして⑩だ。
⑤は、「そもそも世界同時デフォルトって何?」というものだが、見返してみるとシーズン1の7話「はじめての銀行強盗」で描かれている通りだった。
「全銀行の口座残高を0にする」
・・・国債も?!そんなのあり?
まあ、ようは経済のリセットと言えばいいのだろう。その先に何があるのか全く不明だが。
次は⑧。1A84がアメリカから逃げる決断をしたということだが、「そもそもAIって死にたくないわけ?」というのが疑問。
これは押井氏が描いた『GHOST IN THE SHELL』の人形遣いもそうだし、初期SACのタチコマそうだが、攻殻機動隊におけるロボット、AIには、
ゴースト(魂)が宿るのである。それを前提に描いているわけだから、AIが死から逃げるのも納得する。ただしそこに少佐やプリンが全く疑問を持たないのはどーなんでせうか・・・。

最後に⑩。
作中でNと呼ばれる現実と夢の二重認識というのは、言ってしまえば『マトリックス』や『ハーモニー』で描かれているそれと近しい。
『ナルト』の無限月読である。
そのうえで、少佐率いる九課もとい人類はシマムラタカシというポストヒューマンに完全敗北し、見事みんな揃ってN化を果たす。
その後少佐のみが目を覚まし、全人類のN化完了かN化中断の選択肢を与えられる。というのが今回のオチ。
そもそもそれって持続可能なの?って話と、
結局のところ少佐はどちらを選択したのか、という話をしたいわけだが、
想像以上に長くなったので2編に分けようと思うのである。

いったん解散。次回に続く。

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