ネガティブ時間はぜいたく時間
しゃけです。
教採やら卒論の中間発表やら学習支援やらで、自分の時間を忘れて生活していたら最終投稿日からだいぶ時間が経っていました。
今日はネガティブ時間のおはなし。
自分がしてしまった失敗や上手くいかないことについてただ落ち込む時間って実はとてもぜいたくなのでは?
「あれがうまくいかなかった」
「やらかしたなぁ」
「あれもこれも、やることたくさんで終わらなさそう。どうしよう」
やってしまったことや困難な現状について、ただ落ち込む時間。
次どうしようとか、そういったプラスのもの、生産性がない時間。
コトが前に進まない時間。
本当に切羽詰まっていて余裕がなかったら、無理にでも次に起こすアクションをひねり出します。
でも、それをしなくてもよいということはまだ時間があるということであり、まだ時間を潤沢に使えるということ。
そうだったら良いのですが、私の場合は、本当に切羽詰まっているのにその場に立ち止まって落ち込む時間を作ることでまだ時間に余裕があると自分を錯覚させ、「まだ間に合う」と安心感を得ようとしているのだと思います。
こりゃだめだ。
このことに気づいたきっかけは先日学習支援先で聞いた先生の言葉。
校外学習での、生徒の姿勢や発言を評価する場面でした。
はっとしました。自分はこれができてるだろうか。
何かマイナスが生じた時に、「どうしよう」が先行して、「この先こうしたら良いのでは?」という思考が全く働いていなかったことに気づきました。
マイナスの場面からプラス方向に行くには必ずエネルギーがいります。
ネガティブ時間を過ごし続けるのは、言ってしまえばエネルギーを使わないのでプラスに行くよりも楽だと思います。少なくとも私の体感では。
だけど、マイナスに居続けることは、自分を疲弊させます。根本解決には至らず、いつか無理矢理にでもプラスに行かなければならない場面が多いからです。
また、自分の経験から、短期間でプラスに持っていこうとするほどエネルギーは必要になります。
指導案づくりが進まずネガティブになっていても、いつかは何とかして作り上げないといけないし、実習と院試の日程がかぶっていることを嘆いていてもなんとか両立する方法を見つけなければならない。
いつか何とかしなければいけないのなら、できるだけエネルギーを消耗せずプラスに行く方法を考えるのが大切なのでは?という結論に至ったのです
(考えに至っただけで、まだ全く実行には移せていません…)。
それすなわち、ネガティブなところに留まっていつまでも現実を嘆いていないで、とりあえず解決方法捻り出してみろよ、ということです。
先ほども書きましたが、ネガティブなところに居続けるの、楽なんです。
過去の失敗を分析するのは、いくらでもできます。考えられる要因は無限に出てきます。自分を見つめ直して磨き上げることはできると思います。ただ、現状は変わらないからいつか対応しないといけない。
あぁやっちゃったなぁと思って反省しても、そのネガティブ時間で成長したと思っているのは自分だけなんじゃないでしょうか。周りから見ると、じゃあ早く解決してくれよ、となるんじゃないでしょうか。
ネガティブになってすぐに前を向くのがしんどいのは、自分の中でそのネガティブの原因を探りきれず、モヤモヤしたまま前に進まなければいけないから、ではないでしょうか。原因わからないのに解決なんてできないじゃん、と。自分の場合はこうです。有効な解決策がすぐには思いつかないのです。具体的な解決策が思いつかないから、メンタル面で何とか前を向こうとする。大抵メンタルも日によって変動するので、その方法は上手くいきません。その繰り返しです。
かと言って、自分で自分を見つめ直すためにネガティブ思考に陥ることは悪いことではないと思いますし、時には必要なことなのではないかと思います。
ただ、それは時間がある時に限る。だから「ぜいたく時間」だと思うのです。
オチのない話ですが、自分なりに行きついた現状の自分の考え方です。
これを戒めにして、様々なことに取り組んでみようと思います。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
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