過去の褒められ経験で自己肯定感を爆上げしていくことにした

自分に人より優れているものなんてあるのだろうか?

私は基本的に、自分ができないことをできる人は等しく凄いという気持ちで生きている。
・この人は苦手だけど対人スキルに優れているようだから凄い。
・私よりずっと若いのに自分には到底及ばない技術を持っていて凄い。
・道行く人たちの見た目がお洒落、みんな凄い。

自分が人に凄いと思われる何かを持っているのか、考えても思いかない。
平凡も平凡、ド平凡。なんなら恐らく平凡以下だ。もはや平凡って何だろう。

★このジャンルならもしかしたら多少はできるかも?でもこれくらいの人は大勢いるからなぁ。
★これなら褒められたことはある。でも世の中これを生業にできるくらい凄い人たちで溢れているし。

誰しも経験があると思うけれど(思いたい)若いころって井の中の蛙ではないだろうか。
自分に無限の可能性があるように思えるし、周りから褒められなんてしたら将来はその道のプロになれると簡単に思っているし。
将来は漫画家になるんだ!と確かに思っていたし確か小学校の卒業文集にも堂々と書いた。まだ手元に残っている人たちは全員燃やしてほしい。

歳を取るにつれ、そして段々周りが見えるようになるにつれ、自分の小ささや力不足を思い知らされて溢れていたはずの自信が地面に吸い込まれて蒸発していく。
外の世界の大きさを知るたび、自分の能力がどんどん小さなものな気がして、とてもじゃないけど「私の特技はこれです!」なんて言えなくなっていく。就職面接で無い特技を捻りだして、披露してくれと言われないかひやひやしながらアピールするのなんてもう絶対やりたくない。

……なんてぐだぐだと書いたものの。

正直なところどの世界にも上には上がいるし、頂点と思われる人にもきっと尊敬する人や敵わない人がいたりするのだと思う。
自分が凄い凄いと思っている人たちだってみんながみんな自信を持っているとも限らないのだ。

最初に書いた人を例に挙げるとしたら、

・この人は苦手だけど対人スキルに優れているようだから凄い。
→本当は人と話すのが怖いけれど無理やり話しているかもしれない
・私よりずっと若いのに自分には到底及ばない技術を持っていて凄い。
→この人の中では上はもっともっと高くて挫折しかかっているかもしれない
・道行く人たちの見た目がお洒落、みんな凄い。
→自分のお洒落に自信がない人だっているかもしれない

と考えると、周りがどれだけ凄かろうと自分が何かを好きであればそれで何も問題はない。実力はどうあれ”好きであること”そのものが特技で構わないのではないだろうか。
何かを好きになるのは案外簡単ではないし、好きな事と特技って案外似た存在なのかもしれない。

『読書が好きで、じっくり自分のペースで本を読み続けています。』
本を読む時間を大切にできるのも特技だし、なんなら読書記録をつけたり感想文なんて書いていたら立派な物。だと思う。いや立派だ私はそんなにマメなことはできない。
『そんなに数を知っているわけではないけど音楽が好きです。』
音楽に詳しくない私からしたら色んなジャンルに手を出せるだけで凄いんだよな。Youtube musicのチャートがないと今の曲とか全然知らないし。
『片付けをこまめにやるのが好きで、掃除道具とかつい買っちゃう。』
えらすぎ。収納のコツとかあったら教えてほしい。ついでに私の部屋の掃除しに来ない?

書きながら文章を考えているからグダグダもいいとこなのだが、案外『人から見た自分の凄いところ』って自分が見えていないだけで=特技かもしれないな。という気づき。

ここは私も過去の栄光を引きずって、ずっと絵や文章と仲良くできていることを特技の一つとして生きようと思う。

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以上、『書く習慣 Day12 私の得意な事』でした。
謎に気づきを得てしまった。書きながら思いついたことをどんどん繋げたので長ーい!
でも我ながら結構この考え方もアリだなぁと思いました。
人に凄いって言われたことがあるなら、そのまま調子に乗って特技にしてしまおう。それが好きな事ならなおさら。楽しく取り組める事で自己肯定感が上がるなら良い事ではないですか!

自分が思っているよりあなたは凄いのでどうか自信持ってください。

なんて偉そうな〆なのか


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