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欅坂46、崩壊の輪郭



『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』

ファン向けのお涙頂戴ドキュメンタリーではない。

悩み苦しむ10代の少女たちが描かれる中で、その周囲に大人の影がちらついていく。
メンバーを追い込み、その苦しみをドキュメンタリーにして、エンターテイメントとして消費してしまうことの何とグロテスクなことか。
ドキュメンタリーが進むにつれて、映像を観ている自分が責められている気分になる。

観終わったあとに後味の悪い罪悪感だけが尾を引く、そんなドキュメンタリー。

ここから、欅坂46を知らない人がこのドキュメンタリーを観る上で、前提になっている情報について整理しよう。なお、かなり僕自身の解釈によるものです。



ドキュメンタリーを観る前に



この記事を読んでくれている人は欅坂46についてどれくらいのことを知っているだろうか。

欅坂46は、デビュー曲の『サイレントマジョリティー』のMV再生回数がその年のうちに1億回を突破し、その勢いのままデビュー年での紅白歌合戦出場を果たした。

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そして、そのキーマンがセンターの平手友梨奈だった。
14歳だった平手友梨奈が鋭い眼差しで「大人たちに支配されるな」と歌う姿に魅了された人が続出し、アイドルファン以外からも一気に注目を集めた。

鮮烈なデビューを果たした欅坂46だったが、平手友梨奈は次第に賛否両論を抱えていくこととなる。その“表現力”に心酔するファンと、その表現力は紛い物だと批判するアンチは、毎日のように互いの主張をネットに書き込んでいった。
そのアンチは次第に“欅坂46の他のメンバーのファン”が中心となっていった。
これによって欅坂46のファンは「平手友梨奈•肯定派」と「平手友梨奈•否定派」に大きく二分されていくことになる。
そしてその賛否の声は欅坂46本人たちにも届いていたはずだ。

センター平手友梨奈への賛否が高まった結果として、メンバー内でも「平手派」「反•平手派」に分かれて内部分裂してしまっている、と週刊誌やネットで話題になりはじめた。

また、平手は"体調不良"という発表のもと、歌番組やコンサートを欠席しはじめる。
様々な公の場での態度などから「ズル休みなのではないか」「甘やかしすぎ」とアンチからの批判がより高まっていくこととなった。
当然、欅坂46は平手抜きで楽曲を披露せざるをえないため、これもまたメンバーの内部分裂を加速させていると噂された。

そして生配信の際のメンバー同士のやりとりから、グループ内のいじめ報道がされ、内部分裂どころか内部崩壊しているのではないか?と噂が噂を呼ぶ事態となった。

ここでハッキリと明言しておくが、週刊誌の報道やファン同士の勝手な噂話の域を出ていない。
噂が噂を呼び、グループへの不安の声が高まっていた、ということだ。

また、平手派のファンの数が常に多数派であったことは知っていてほしい。初の東京ドーム公演で2年ぶりに披露された『不協和音』披露時には、平手友梨奈が拳を突き出した瞬間に会場が揺れる勢いの歓声が上がっていた。

そして称賛と批判を一手に引き受け続けた平手友梨奈は突然、欅坂46を「脱退」する。
普通は恋愛スキャンダルでグループを離れるメンバーでも「卒業」という形がとられるため、これは異例の措置だった。

平手友梨奈が脱退したのち、欅坂46は改名を発表した。
欅坂46としての活動終了である。

平手友梨奈の脱退を契機として、欅坂46は活動終了に追い込まれた。

なぜグループを存続させることはできなかったのか。

平手友梨奈とは何者で、何を考えていたのか。

メンバー内に「平手派」「反•平手派」が本当に存在したのか。

過去の映像と、差し込まれる個人インタビューから、答え合わせをするためのヒントが描かれているんじゃないか?

公開当時、僕はこのような視点から注目していました。


そして、「僕たちの嘘と真実」、このタイトルに込められた意味とは。

平手友梨奈が曲に入り込むあまりに倒れ込んでしまうことは嘘なのか真実なのか。

このドキュメンタリーのどこまでが嘘なのか真実なのか。

レコード会社であるソニーの検閲が入っている、今後も改名して活動していくグループのドキュメンタリーが、果たしてどこまで真実を映しているのか?

その全貌は捉えられなくとも、カメラには映っていることから何かを感じ取ることはできるはずだ。


グロテスクさについて


このドキュメンタリーに通底しているのは、10代の女の子の精神的な不安定さだ。

インタビューの中で石森虹花はこう話す。
「みんなで手を繋いで崖にいる感じします。一歩踏み外したら全員が落ちるんじゃないか。」


聞こえてくる期待の声や批判の声、それは自分の力ではどうしようもないもので、アイドルと言ってもただの10代の子どもが、それを受け止めるのは酷なものがある。

平手友梨奈が舞台上から落下するプロローグが終わったあと、ドキュメンタリーはデビューまで時を戻す。
デビュー時には"芸能人"になったことをメンバー全員で楽しんでいる様子が映し出されていく。

そして、この元気でハツラツとした様子が、後半になり笑顔が消えていく様子との対比になっています。

最初は笑顔でカメラに話していた平手友梨奈が段々といなくなっていく。

そしてライブでの平手の休演が起こる。

それに動揺してライブに身が入らないメンバーたちに向かって、スタッフはこう言う。

「欅坂って平手がいないと成り立たないの?って俺は言われたくない。」

もちろんこれはメンバーに発破をかけるための言葉で、さながら学校の先生だ。
でも僕はやる気を無くすのも、子どもだからしょうがないと思う。プロなんだからステージに立てとスタッフが言ってしまうのは簡単だ。お金を貰っているんだから、やるべきことをやれ、と。
でもやる気のない子どもを、働かせることは本当に正しいのでしょうか
子どもたちをステージに上げたのは大人たちなのに、ステージを下りることすら選ばせてくれないのでしょうか。
まともな判断力が養われる前の子どもに向かって、プレッシャーをかけて働かせることって道徳的に正しいことですか?


平手友梨奈はこのドキュメンタリーの中で何度も何度も倒れ、歩けなくなる姿が映される。
理由がどうあれ、平手が倒れて苦しそうにしていることは事実で、倒れたままの平手をスタッフが抱えて裏まで運んで、ステージに立たせる。
もちろんステージは完璧にこなされるので、倒れるのがポーズだと考える人もいると思うが、そもそもポーズだとしても苦しそうにしている子どもを舞台に送り出すのが、大人としてやっていいことなのですか?

また、ドキュメンタリー中では際立てて描かれていませんが、倒れるのは平手友梨奈だけではありません。2017年の紅白ではメンバー複数名が倒れています。

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そして倒れ苦しむ姿はカメラに収められています。
彼女たちのすべてをエンターテイメントとして消費するために。



おわりに


これを紹介したのは、欅坂46が櫻坂46に改名して1年が経ち、もう一度このドキュメンタリーを観直して考えたくなったことがキッカケになった。
グループは櫻坂46になって活動を続け、平手友梨奈も個人仕事が絶好調と言っていい。
どちらも上手くいっているからこそ、欅坂46に当時何があったのか知りたいし、そこからアイドルビジネスの問題点について自分の中で見直す契機にしたかった。


欅坂46について詳しくない人は内部崩壊の側面よりも、アイドルをビジネスの商材として扱うことについてフォーカスした方が観やすいかもしれません。
とは言ったものの、興味があんまりない人にはこの映画の2時間は長く感じるかもしれませんが……
スマホ片手に観てもいいかもしれません。

普通の女の子たちをアイドルとして祀りあげ、エンターテイメントとして消費していくことについて考えてみたい人はぜひ。

この映画を勧めることで、アイドルの人生をエンタメとして消費する一端を担ってしまう罪悪感を、またさらに重ねてしまうんですけどね。

Amazonレンタルで500円です。

https://www.amazon.co.jp/%E5%83%95%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%98%98%E3%81%A8%E7%9C%9F%E5%AE%9F-Documentary-%E6%AC%85%E5%9D%8246/dp/B08RMNSVV2



追加:



ドキュメンタリーを観た後に、監督が質問に答えるインタビューを読むとより、このドキュメンタリーを味わえると思います。

タイトルについて監督はこう話していました。

「『僕たちの嘘と真実』というタイトルはどのタイミングで誰が決めたのでしょうか?」(20代・男性)
「『僕たちの嘘と真実』というタイトルは、制作を進めるなかで決めたものです。僕は作品のタイトルを自分でつけることはあまりなくて、今回もスタッフの方がたくさん候補を出してくださったなかから、意見交換を経て決めたんです。『僕たちの嘘と真実』が良いと思ったのは、どこが嘘でどこが真実なのかという、ドキュメンタリーが持っている本質そのものを捉えているからで、一見挑発的だけど誠実にも感じました。
僕は真実と言われているものでさえ、主観の総体でしかないと考えています。たくさんの主観によって、それはあたかも真実のように見えるけれど、それは事実の一断面に過ぎない。ドキュメンタリーはそのことを言い表すためにあえて主観的に撮るメディアです。なにが正しいのかと考える余地を残すことが、作り手として誠実な方法だと考えています」
「今作のタイトルは、被写体に対して、フィクションとドキュメンタリーの関係性を示唆していると仰っていましたが、演出としてのフィクションとドキュメンタリーをどのように考えていたのでしょうか」(20代・男性)
「基本的に両者に違いはないと考えています。フィクションとドキュメンタリー、その二項対立は白か黒かという明確なものではなく、灰色のグラデーションのような気がするんです。フィクションのなかにも俳優の演技に代表されるようなドキュメンタリー性もあるし、ドキュメンタリーであってもカメラを向けられた人は自然とお芝居のようなものを始める。いずれもカメラがある状況のなかでしかないから、決して現実そのものにはなり得ないのです。
欅坂46にまとわりついている“嘘”と“真実”の境界を、映画のなかでは明示していません。多面的に、寛容にグループのあり方を観てもらったほうが良いと思ったからです。そういった点で、時間軸をずらすことに様々な憶測が働くことは承知していたことでもあります。なので公開後の反応はほぼ想像通りでした」
「劇場パンフレットにて、高橋監督がデヴィッド・フィンチャー監督作品を構成の参考にしたと発言があり、いち映画ファンとして腑に落ちたところがありました。当初の構成では参考作品のような、『平手友梨奈さんがいなくなる』ことをより意識した作品だったのではないかと勝手に思っております」(20代・男性)
「当初から、『ファイト・クラブ』のように、我々も含め観客自身がこの欅坂46というグループを作りだしている、すべては自分に降りかかっていることであり、自分自身が加担しているような部分を突きつけられる映画にすべきではという議論がありました。撮影や編集などすべてが同時進行のなかで、どういう構成にするか悩むうちに『ソーシャル・ネットワーク』などが頭をよぎり、改めてフィンチャー監督の作品を参考にしていったような気がします」

https://news.yahoo.co.jp/articles/c38292cd0580ada634b265d27c55e4529b5730a0



感想【ネタバレあり】



ドキュメンタリーの中で、繰り返すように「仲は良かった」と言われますし、それが公式のアンサー。むしろいじめられていた側の疑惑がある菅井友香にそれを言わせるのが、すごくわざとらしいとも思います。


またドキュメンタリーの中では平手友梨奈が天才として描かれます。僕はダンスにおいてはスキル主義なので、気持ちの作り込みとかだけではちゃんちゃらおかしいとも思っていて、表情にそれが出るとしても、それはスキルという土台があってこそのプラスアルファであり、スキルなしに感情の表現は成立しないと考えています。

だから劇中で明かされた休演が「パフォーマンスに自信が持てない」ことを理由にしたものだったと知って、じゃあダンスの練習したら…?としか思えない部分もありましたね。どんなに表情が良くても、動きがぎこちなければ違和感が粒立ちます。

だから僕は踊ってない平手友梨奈が好きでした。それなら純粋に表情の作り込みだけを楽しめるから。劇中の『避雷針』や『月曜日の朝、スカートを切られた』などでは踊らずにただそこにいるだけの平手友梨奈だったので、かなり良いと思いました。

それで言うと、鈴本が代理センターを務めた『アンビバレント』は、平手友梨奈センターへの対案として素晴らしいものでしたね。
踊りがしっかりしていると、逆にその人の個性だけに集中できるから見やすくなることがよくわかる例になっていました。

でも最近平手が出しているソロの仕事では、かなりダンス上手くなってますね。明らかに動きの質が違うので、誰かに師事してじっくり踊りに向き合う時間を取れたのではないかと思います。そういう意味では、卒業してデューティーでこなす仕事がなくなってよかったですね。

またメンバー間の分裂については、守屋茜が「(平手が)いないとできないっていうふうに思ってた側なんですよ」と思っていない人もいることが前提になった発言をしていたこともあり、平手友梨奈がいない状態でどうやって欅坂をやっていくかについてはメンバー間で話し合われて、それぞれのスタンスが分かれていたことは明確になりました。
小林由依は「全体的に、私が思ってることとみんなが思ってることが、多分違うんだろうなって感じることが凄い多いので、あんまり話しづらい」と言いますし、数々のインタビューでもセンターをやりたいと話していたことからも、平手なしでやれる派だったのだろうと思います。
むしろ平手のことを「天才」「他とは違う」と連呼されたドキュメンタリーの後半にこの言葉を聞くと、小林はその"天才"という言葉にも違和感を持っていたようにも聞こえます。

加えて、守屋茜が「バックダンサーだと感じることもあった」と話し、平手は「みんなは今、欅坂をやってて楽しいですか?」と問いかけます。
平手は自分だけのワンマンチームであることに自覚的で、それを心苦しく思っていたことがわかりました。

あと、小池美波が倒れた平手の代理で、アドリブで二人セゾンの間奏を踊るのは凄かったですね。叩かれたとしても自分が行くんだと覚悟を決めた人間の表情には迫力がありました。
マイクを渡されて驚く佐藤詩織の表情も相まって、その瞬間にしか出ない煌めきを感じます。
結局どこまでも平手友梨奈を中心にメイクドラマしていくんですよね。そうなると、平手を欠いたまま活動を続けていくことは難しく、平手無しのラストシングルを出して活動を終了させたのは間違ってなかったと思います。

欅坂46はどこまでも話題になり、注目を集めつづけたグループでした。櫻坂46になって、あんまり話題にならなくなって、でも櫻坂のバラエティーを観ると雰囲気がずいぶん明るくなっていました。大半のメンバーにとっては、これでよかったんじゃないかと今のところ思っています。


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