シケモクまみれのシンデレラ
恋焦がれたものも私の所持品になると、お気に入りのワンピースでさえ、裾は落としそこねたたばこの灰で色褪せてしまう。ストッキングには火種で穴が開き、頬にかかる髪の毛は焦げる。
あこがれるは文豪のごとく、なにかむずかしいことを考えて、なにか閃いて、文字にして、作品にしたい。その作業のおともとして、喫煙がしたい。それなのにどうも恰好がつかない。あたしは。
ウェリントンのメガネをかけてみても、自堕落にウイスキーをストレートで飲んでみたって、あたしの日常は文豪にならなくて困る。
憧れの文豪は、まいにち何を考えるのだろう。愛とは何か、人生とは?正しさ、罪、と、罰、幸福について、快楽について、倫理について、あたしには何もわからないまま。
いつまでも夢見ている。いつか、白馬の王子様があたしをさらっていくかのように、いつか、空をぼうっと眺めながら吸うたばこの煙とともに、なんだかすごくすてきな閃きがピカっと落ちてきて、あたしに這入ってきて、あたしはなんだかすごい文豪になるのだ。
きれいに晴れた空には、何もかもが在るように思う。だけれど神様と一緒で、あたしには何も教えてくれなくて、いつまでも手が届かなくって、だけどいつまでも存在していて、やるせない。
美しくなりたい。美しく生きたい。空は、風は、そんな願望を運んでくるけれど、美しさの定義がわからない。
一生懸命まいにちを生きていればそれで人生は美しいのだろうか。あたしは一生懸命労働という名の、ひとに媚びた笑顔をふりまいて、それが終わればたばこを吸って、ぱちんこ屋さんに行って、一生懸命大当たりが来るのを待っている。さて、美しいとは言えるのだろうか。
美しさ、というものが清貧であったり節約であるならば、あたしはいつまでも美しくはなれない。毎日を一生懸命に生きられない。
美しさが生まれ持ったものであるならば、配られたカードで終わりまで変わることはない。つまり、今以上の美しさを求めることはナンセンスである。
美しさが、単なる個人の認識であれば好いのに、と思う。あたしは、いつまでも少女性を持っていたい。だけど、この世にある楽しそうなものすべてを知りたい。あたしの、持っているだけの、すこしの、美しさを、他人に、大勢のひとに、分かってもらいたいとも、思う。ねがう。
愛されたくて生きている。死ぬまでずっと、満たされないままだ。
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