#55 Googleマップで吉野ケ里遺跡に行こう!

吉野ケ里遺跡は佐賀県にある弥生時代の環濠集落の遺跡で、必ず教科書に写真付きで登場する。堀や柵、物見やぐらがあったことから、当時はすでに集落同士の争いが行われていたことが分かる。そして、その規模の大きさから邪馬台国関連の遺跡ではないかとする説もある。

教科書に登場する遺跡には、実際に行かなくてもGoogleのストリートビューで見れるものもあり、中でも吉野ケ里遺跡は細部まで公開されているので、見どころを紹介する。なお、埋め込みの都合でGoogleマップを使っているが、授業で見せる場合はGoogleEarthの方が自在に操作できると思う。

まず、場所の確認から。吉野ケ里遺跡が位置するのは、筑紫平野の北端で、背後には筑紫山地がある。かなり内陸部にあるが、かつては縄文海進によって海抜が数メートル高かったため、比較的海の近くに立地していたのではないかと言われている。

まず比較的外側部分にある高床倉庫群である。穀物を保管するための倉庫だったため、ネズミ返しもはっきりと復元されている。

次に遺跡の代名詞とも言える堀と柵の部分である。幾重にも重ねて集落を囲んでいるが、↓のストリートビューだと右側が中心部で左側が外縁部である。左奥にはさらに外側の柵も見える。

次に南側の中心部である広場を見てみると、物見やぐらや集落の中心人物の家と言われている竪穴住居がある。

ストリートビューでは竪穴住居の内部も見ることができる。内部から見ると、竪穴というのが地面を垂直に掘り下げたものであることがよく分かる。

↓は中心部南側にある物見やぐらからの眺望である。山地を背にして筑紫平野を一望することができる。遺跡が高台にあること、見通しの良い場所に遺跡が立地していることがよくわかる。

次に、北側の中心部を見てみよう。こちらには物見やぐらや竪穴住居のほか、祭祀が行われていたと考えられる大型の建物がみつかっている。さらに、建物の内部にも入ることができる。

このように、明らかに卑弥呼(巫女)が祭祀を行っていたことを思わせる復元がなされているが、吉野ケ里遺跡=邪馬台国は仮説であり、真実は判明していない点は注意が必要である。

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