#249 ヤップ島の石貨にお金の本質がある?
太平洋にあるヤップ島では巨大な石貨が使われていた。到底持ち運びができない巨大な石貨には、現代にも通ずるお金の本質がこめられていた。
ヤップ島は、日本の南方の太平洋上にあり、ミクロネシア連邦に属する島だ。
ヤップ島はかつてスペインの植民地で、その後ドイツが買い取り、第一次世界大戦の後に日本の委任統治領となる。そのため、ヤップ島には日本人がつくった神社や、太平洋戦争時の戦績が残されている。
ヤップ島では、昔から(一説によると約800年前から)「フェイ」とよばれる巨大な石貨が使われていた。その大きさは50㎝~3mにおよぶものもあり、世界最大の貨幣とされている。
ちなみに、昔のテレビアニメなどで原始人が巨大な石貨を転がして運んでいるシーンが描かれることがあるが、まったくのフィクションである。
原始時代はそういったお金はなく、モデルとなっているヤップ島の石貨は取引が行われる場所にその都度持ち運ばれて使われるといったことはなかった。
ヤップ島の石貨は道端や広場に置かれ、取引があった場合は、石貨の持ち主が変わることをお互いが了承し、そのことが島民に周知されることでOKだった。このシステムにより、石貨を動かさずとも貨幣によるさまざまな取引が可能となっていたのだ。
また、石貨の価値は必ずしも大きさで決まるわけではなかった。
島民はわざわざ南西に500キロほど離れたパラオ島まで行って石灰岩を切り出して石貨に加工して持ち帰ったのだが、大型船や電動工具もない時代、石貨を手に入れて持ち帰ることはとてつもなく過酷な作業だった。
その石貨を手に入れるのにどれだけの労力がかかり、犠牲者がでたのか、その大変さがその石貨の価値となった。
時には、石貨がなくなってしまったにもかかわらず、「立派な石貨を見た」という証言を村人が信じたことでその石貨の価値が村で認められたというエピソードもある。
逆もしかり。ヤップ島に漂着したあるアメリカ人は、国に帰ると採掘機で効率的に大量の石貨をつくり、ヤップ島に持ち込んだ。苦労せずにつくられた石貨は島にもともとあった石貨ほどの価値は認められなかったという。
ヤップ島の石貨は、島民たちが石貨の価値を共有することで石貨に実際の価値をもたらしていた
これは、現在の貨幣にも通ずることである。例えば、日本の1万円札の原価は15~16円ほど。コピー用紙と対して変わらない値段のただの紙で1万円分の買い物ができるのは、国民がその紙に1万円分の価値があると認めているからに他ならない。
このように、人々の信用によって成り立つ貨幣を「信用貨幣」というが、ヤップ島の石貨はまさに「信用貨幣」である。
冗談のような巨大な石貨には、お金の本質が隠されていた。
たなみにヤップ島の石貨は日比谷公園にも展示されている。直径が1m35㎝ほどで、日本の統治時代にヤップ島から寄贈されたもの。
石貨の背景にある物語に思いを馳せてみてはいかがだろうか。
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