#96 12年間続いたのに「前九年の役」の謎

 「前九年の役」とは、陸奥国(現在の岩手県~福島県にかけての地域)で半独立勢力となっていた安倍氏の乱を源頼義・義家親子が鎮圧した戦乱である。前九年の役は平安時代末期の1051年にはじまり、1062年に出羽国(現在の秋田県・山形県)の豪族だった清原氏が参戦したことで朝廷側が一気に有利となり、同年に安倍氏は滅亡した。
 前九年の役とセットで覚えなければならないのが1083年から1087年にかけて争われた「後三年の役」。後三年の役は、清原氏の内紛を、安倍氏に代わって陸奥守となっていた源義家が介入して鎮圧した戦乱である。勝利した清原清衡は父の姓である「藤原氏」を名乗り、奥州藤原氏として栄えていくことになる。

 後三年の役は、およそ5年にわたる争いだったが、「三年」という名前がついている。その名前は『奥州後三年記』という戦記に由来する。三年記となったのは、平安京に戦争が伝わった1086年から陸奥守を罷免された1088年を合戦期間とみなしたからである。

 前九年の役は、当初は「奥州十二年合戦」と呼ばれていた。それが前九年の役となったのには諸説がある。
 まずは、奥州十二年合戦の中に後三年の役が含まれているとする勘違いが由来という説で、この説では12-3年で9年とする解釈である。他にも、源義家が合戦に本格的に参入したのが9年間であることから9年となったという説もある。

 また、前九年の役、後三年の役は「前九年合戦」「後三年合戦」と言われることもある。「役」とは、朝廷vs朝廷に歯向かうものという意味合いがあり、「合戦」は対等な立場のもの同士の争いという意味合いが強い。そのため、教科書では「合戦」の語を使う方が一般的となりつつあるようだ。 

【参考】


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