#65 関ケ原は天下分け目?

1600年に起きた関ヶ原の戦いは天下分け目の戦いと言われている。
実は、関ヶ原は地理的にも天下分け目と言える場所にある。

関ヶ原の「関」は、壬申の乱の翌年(673年)に関所として設置された不破関(ふわのせき)に由来している。この不破関は、鈴鹿関、逢坂関とともに三関とよばれ、東日本と西日本の境としての役割を持っていた。

航空写真で見るとよく分かるが、濃尾平野と近江平野の間には南北に山地が広がっており(地図中緑色の部分)、その間を縫うような谷の地形の中央部に位置するのが関ケ原である。現在も東海道新幹線の駅があるが、関ヶ原は古代から交通の要衝だった。かつては三関の東を「関東」、三関の西を「関西」と呼んでいた。現在でも東西の文化の境目になっており、まさに地理的にも天下分け目の位置なのである。

飛鳥時代には壬申の乱の際には奈良で挙兵した大海人皇子が真っ先にこの地をおさえ、大友皇子が東国に援軍を求めることを阻止したという。歴史的にも天下分け目の場所であった。

ちなみに関ヶ原の戦いの際は、関ヶ原付近は燃料・資材の切り出しなどで禿山となっており、見晴らしの良い地形で戦が行われたらしい。

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【参考】


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