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「いつもの奴」

そのとき全身が粟立つ感覚は、何度経験しても慣れることはない。手足が急に冷たくなり、それなのに手のひらや足裏にじっとりと汗が滲む。首から肩にかけての血流が滞ったように感じ、呼吸できているのに酸素が薄い気がして息苦しさを覚える。

「いつもの奴」だ。

わたしは自室のオフィスチェアに浅く腰掛け、仕事用のコンピュータに向かって、打ち込んだコードが正常に動作するかを確かめるテストをおこなっていた。テストの結果が芳しくなかったわけではない。「いつもの奴」はそんなことを気にしない。
目を開いているはずの視界は白黒に蠢く幾何学模様に塗り潰され、指先が小刻みに震えだす。心拍数が上がり、自身の鼓動を意識し始めた頃になって、色の付いた視界が戻ってきた。コンピュータの画面は、黒地に白い文字でテストの結果を表示したままだった。妻は買い物に出掛けている。家にはわたしと、飼い猫のみけ(茶虎)だけだ。

わたしはチェアに座ったまま、「いつもの奴」に対抗する頓服薬をさがす。努めて冷静に。焦らず、慌てず。焦りが状態を悪化させることを知っている。いつも近くに置いているはずだ。うるさい鼓動から意識を引き剥がすように深呼吸をしながら、あえてゆっくりとした動作で、机の端のケースから頓服薬のシートを取り出した。
直径五ミリメートルほどの錠剤が、二列五行ならんでいるシートからは、すでに三粒ほどが消費されていた。震える指先で、意識してゆっくりと、これから服用するための錠剤を押し出す。一錠……いや、二錠にしておこう。取り出し方が下手だったせいで、指先にシートからちぎれたアルミ箔が付着してしまったが、剥がす間も待ち切れずに二錠を口へ放り込む。一緒に飲んでしまうかも知れないが、構うものか。
机の上のマグカップは空だった。薬を飲むための水を汲んでこなければ。いや、この錠剤はOD錠、口腔内崩壊錠だったはずだ。つまり、水なしで服用できるはずである。マグカップを手に取って立ち上がり、キッチンで水を汲む、たったそれだけの動作だが、「いつもの奴」がいる状態ではそれだけの動作をしたいとは思えなかった。口の中の錠剤は、やわらかいラムネ菓子のように、すでに溶け始めていた。澱粉のほのかな甘さが広がった。

薬は服用した。あとは時間が解決してくれるーー。が、「いつもの奴」は即刻去ってくれるほど甘くはない。鼓動は鳴り止まず、指先は震え、手足は冷え、汗ばみ、息苦しい。わたしは机に置いたままのスマートフォンを手に取り、音楽再生アプリが自動生成した、ヒーリング系のミュージックプレイリストの再生ボタンを、震える指先でタップした。「いつもの奴」がきたら、とにかくそこから意識を逃がす。わたしの逃げ込む先はいつも音楽だ。音楽に集中し、不安を煽る余計なことを頭から追い出そうと集中する。
だが、とにかく座っている姿勢が辛い。立てる気もしない。おまけに胃のあたりがひんやりとして気持ちが悪い。身体を横にして休みたい。幸いなことに、わたしはいま自宅にいる。一刻も早く身体を横たえたくて、チェアから崩れ落ちるようにフローリングに横たわった。足元に設置してあるコンピュータ本体の排熱風が足先にあたり暖かい。フローリングの床が頬を冷やしてくれて心地よい。このままじっとしていよう。

そんな状態でしばらくすると、少し寒くなってきた。部屋はエアコンが効いている。冷たいフローリングに倒れていては身体が冷えてしまう。不快感を押し殺すために噛み締めていた歯が小さくカタカタと鳴る。そこまで部屋は寒くないはずだが、これが「いつもの奴」だ。寒さを自覚すると、途端に身体全体に震えがくる。腹も痛くなってきた。暖かい布団で休みたい。
布団はいつもすぐ入れるように準備してある。いまわたしが横たわっている位置から四メートルほどだ。這っていこうとしたが、存外に大変だったのですぐやめた。それに、着ている服をモップにして部屋の掃除をしたくない。ましてや布団にそれを持ち込むなど。

気分が比較的よくなったときを狙って立ち上がった。布団へ向かおうと歩きだしたところで、また視界のホワイトアウトだ。胃のむかつきと腹痛も同時に騒ぎだし、立っていられなくて膝をついた。布団に横になりたいが、万が一粗相をして汚したくない。先に手洗いへ行くべきだと思った。手洗い場までは布団より遠い。七メートルほどだろうか。間にドアも二枚ある。布団か手洗いか。床に蹲ったまま、回らない頭でしばらく考える。守るべきはーー、布団と尊厳だ。「いつもの奴」に穢されたくはない。

立ち上がれるほど状態は芳しくない。だからといって這っていくのも大変なのはさっき試した通りだ。ここは、あいだをとって中腰で歩いて行くことにした。中腰のまま不器用にドアを開け、ついに手洗い場に到達した。音楽の鳴るスマートフォンを握りしめたまま。

立ち上がると状態が悪化するのは承知の上、それでも仕方なく立ち上がり便座に腰を下ろす。先に腹痛へ対処しようと考えた。壁に取り付けたペーパーをくるくると巻き取り、いくつかの塊を作っておく。具合が悪いとペーパーを巻くことさえ辛いので、先に用意して積んでおくのだ。
相変わらず胃の調子も良くない。だがここなら、たとえ堪えきれずとも、布団を汚すよりはるかに掃除がしやすい。少しだけ気が楽だった。
用を足し終え、予め用意したペーパーの塊をいくつか消費して後始末を終えた。便座から離れるが、立ち上がるのが辛く、蹲ってしばらく諸々の不快感に耐える。手洗い場は適度に涼しく、万が一の際の掃除もしやすいことが、少しだけ気を楽にしてくれた。だが蹲っている体勢を長く維持するのは辛い。身体の震えも我慢ならない。やはり布団に入りたい。

機を見て、少しずつ、少しずつ、中腰で歩き、ときに這い、しばし横たわり、また少し進みーー。ようやく布団に到着した。
だがまだ終わりではない。少しでも気分を和らげるため、枕を重ねて高くする。こういうとき、どのような姿勢でいるのが回復が早いのか、実は未だによくわからない。右向きに横になる?それとも左向き?どちらも試した。いまは仰向けが楽だった。

震えが止まらない。胃の冷たさが気持ち悪い。とにかくこの不快感を乗り切りたい。布団に仰向けになったまま、音楽を奏でるスマートフォンを胸の上に置き、その上にお気に入りのぬいぐるみ「にゃもち」を載せ、毛布をかぶり、細長く折り畳んだタオルをアイマスクのように目の上に載せ、目を閉じ、深呼吸をする。

このまま早く意識を失いたい。睡眠でも気絶でも大した違いはない。とにかく早く意識を手放したい。「いつもの奴」は、大抵わたしが寝ている間にどこかに去っていく。胃が気持ち悪い。まだ腹が痛い。めまいがする。手足が冷たい。歯がカタカタ鳴る。どうしようもなく恐い。「いつもの奴」で死んだことはないし、死ぬほどでもないことは理解している。それでも恐い。この気持ち悪さが、腹痛が、手足の冷えが、震えが、いままさにここにあることが恐い。気持ち悪さや腹痛から、万が一粗相してしまうことが恐い。もしこれが自宅でなく出先だったらと考えると恐い。実際に出先で「いつもの奴」がきて、道端に倒れ込み、通行人に奇異の目で見られたことも何度かある。無駄なことばかり考えてしまい、余計に恐くなり、恐怖ゆえに「いつもの奴」は調子に乗って状態が悪化する。悪化した体調を意識したせいでさらに悪化する。負の連鎖。考えるほどに負の連鎖。気付くほどに負の連鎖。

音楽に逃げ込み、意識が落ちるそのときまで、ゆっくり耐えるしかない。音楽に集中。余計なことを考えるな。集中しろ。音楽を聴け。音楽をーー。

気付くと音楽は鳴り止んでいた。気分も幾分よくなっている。手足は温かく、震えもない。胃の不快感も薄れていた。いつの間にか眠っていたようだ。「いつもの奴」は、今日は帰ってくれたらしい。
ふと毛布をかぶったままの足に重みを感じた。見ると、みけ(茶虎)がわたしの足の上に溶けだしたようなだらしのない格好で眠っている。ごろごろとした振動が、毛布越しに足に伝わってくる。
隣には、買い物から帰った妻が添い寝をしてくれていて、わたしが投げ出していた左手を握ってくれていた。

「いつもの奴」は、わたしの温まった左手と足に愛想を尽かして去っていったようだ。

わたしは安心して、左手に妻の手を、足の上にはみけ(茶虎)を載せたまま、もう一眠りすることにした。

また奴は来るだろう。何度でも恐怖に苛まれるだろう。でも、そのたびにお帰りいただこうじゃないか。わたしには、心強い味方がいる。

ーー。
あれ、帰ったんじゃなかったの?もう戻ってきちゃったの?
「いつもの奴」のそういうところ、一番嫌い……。

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