パパの命日④

そして最後の入院…ここからは鮮明に覚えている

2015年10月再度入院。この時のパパの状態から見て、お母さんとあたしは「死」を考えるようになった

声が出なくなる事を嫌がり、声帯を残した事によって、癌も体内に残した。その癌が目を醒ましてしまった…って感じなのか。

パパの希望通り声帯を残したけど、カニューレを付けていたから殆ど声は出せなかった。こんな事なら、最初から外科的手術をして切除した方が良かったんじゃないか…とすら思った…でも、これは言ってはいけないこと!!

入院中のパパは、ベッドの上で目を瞑り下を向いて座っているだけだった。「痛い」「苦しい」何一つ文句を言わずただ、俯いていた。

お母さんは毎日家事をこなし、昼前に病院にバスで行き、面会終了までいてまたバスで帰る…という日々だった。あたしもパート終わりに病院に毎日行った。でもあたしが行くと、30分もしないうちに、手で追い払うような仕草をした「お前には家族がいるんだから、帰りなさい」そういう意味だった。「じゃあ帰るね」と言うと、手で「ありがとう」の仕草をした。

たまには夜までいて、お母さんを家まで送ったこともあった。お母さんが頑張りすぎて心配だった。あたしは近くにいていつでも出てこられる環境にあったから、もっと頼って欲しい!と伝えた。姉は遠くに嫁いでいたから、そう簡単には来られない。この先は、お母さんとあたしでパパのお世話をしようと思った

毎日病院に通い、パパの様子を見ていると、日に日に悪くなっていってるのがわかった

座っていたのが、横になっているだけになった。それでもパパはトイレだけは自分の足で行った。

担当医は「もう、治療はない。でも僕は最後までちゃんと診ます」と言った。普通なら治療がなければ退院させられてしまう。

薬と点滴はしていたけど、治すための治療はしていなかった。そして、緩和ケアの先生を紹介された「この先、患者さんがどうしたら楽に過ごせるか、考えましょう」と

続く