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ついでにジェントルメン

予約したのが届いたので読了。
早めに予約しておいたのに大泉の感想に追われて返却期限を過ぎてしまった、ごめんなさい。

著者のtwitterをフォローしているのでリツィートを見る機会があるが、女性というだけで男性から虐げられたり軽んじられたりすることに対してNoと言おう、というムーブメントを支持している。
この本もそれが通奏低音のようにずっと流れている。

あまりメスという俎上に乗らない(乗れない)ように生きていたせいか、女性だから受ける不利益や不快な思いをせずに済んできた。
学生時代、電車の中で痴漢にあったこともないし、ナンパされたこともない。男の人に後をつけられて怖い思いをしたことも、いきなりぶつかられたとかも。
女性が被害を受ける話を聞いても、そんなひどいことする人、世の中にはいるんだな、と他人事にしか思えなかった。
せいぜいあったと言えるのは、親しくしていた男性にいつの間にかアピールされていたくらいか。
ちょっと話が合ったくらいで「コイツ俺に気があるんじゃないのか?」「ワンチャンいけるかなー(笑)」みたいな態度を取られるのは、逆のパターンでも起こりえたので、まあよくあることだとは思う。

それが、社会人になってからは否応なくそんな状況に立たされることに。特に、女性の少ない職場だっただけに。
さすがに↓みたいなことはなかったけれど。

これ読んでものすごく気持ち悪くなった。
なんでそんなことしたくなるのか、本当に理解できないのだ。
しかもそういうことしてくるのは大体既婚者で、歳の離れた男性ばかり。
家庭に収まって落ち着いてしまった中で、自分がまだオスとして戦えるか確かめたくなるからだろうか。
家族ができてもにまだオスメスの世界で生きられるかと考えるのは女性にだってあるだろう。
それでも、年下の男性にそういうことをする女性はいまだに見たことないし、こういったエピソードが表に出てくる際に、男性側から逆のパターンについての被害は聞かれることは(私が知る限り)ない。
女性がそういうことを言うのははしたないことと見做されているから、実際にやる人はいないのだろう(全くないとは言わないが)。
本能の部分もあるのでそういった欲求を否定はしない。ただ、それを(職場で)やっていいと何故思うのか。しかも、自分をオスとは見ていない年下の女性に。
まあ、相手にしてくれそうな人他にいないんだろうけどね。悪循環なの早く気付けばいいのに。

大分話がずれてしまったが、そういった勘違いした男どもが各話に出てくる短編小説である。
実家暮らしのニートの小説家の卵にきつく当たる小説家になり損ないの文芸員が出てくる「Come Come KAN!!」、不倫小説で一世を風靡した小説家が価値観アップデートできていないことに気付く「渚ホテル」、お持ち帰りを目論み連れ込んだ鮨屋で、雰囲気ぶち壊されて本懐遂げられなかった「エルゴと不倫鮨」、浮気した夫に三行半を突き付け実家へ帰ったのに追いかけてきた元舅はこれまでの自分を改めて生きているのに対し価値観を変えられない元夫を対比させた「立っている者は舅でも使え」、『女は美しくないと価値がない』と刷り込ませて商売している整形外科医と児童文学研究者の兄弟をベースにした「あしみじおじさん」、女性しか住めないアパートの住民に興味を惹かれる「アパート一階はカフェー」。
どれにしても女性であるというだけで、どうしてこんなに舐めたメンタリティーでいられるのだろうか、という男どもを、ばっさり切り捨て周囲と連携して打ち砕いていく女達。
最初と最後に菊池寛が出てくるのは、発行元の文藝春秋社へのサービスか。
女性にはだらしない部分もあれど、いいと思うことには惜しみなく援助し見返りを求めなかったという菊池寛。男はこうあるべし、というか、男に限らず、助け合って生きていくべき、と筆者は伝えたいのだろう。
このご時世、声を上げやすくなったことで今まで見えなかったものが見えるようになり、その分些細なことで分断されやすい。
だからこそ互いを知り、そういった歪みを正してより良い社会にしていこう、自分ができることを各々やっていこう、と言えるのはいいことだと思う。

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