見出し画像

ノンバイナリー、Aセクシュアル、BLを読む

 本記事は、ノンバイナリーでAセクシュアルの私がBLを読むということについて考えてみたものです。


🍎「腐女子」「腐男子」の区別は必要?


 BLが好きな女性は「腐女子」、BLが好きな男性は「腐男子」と呼ばれますが、私はこの区別が少し引っかかります。ノンバイナリー当事者にとっては、好きなものを語るときにまで、自分の性別を出さないといけないのか(!)と困ってしまいます。「少年漫画が好きな人」や、「少女漫画が好きな人」は特に性別を区別しないはず(おそらく)…なのに、なぜ「BLが好きな人」や「百合が好きな人」は「女子」「男子」が後につくのだろう?と疑問でした。


 確かに、「女性目線」あるいは「男性目線」でBL(や百合)を見ていることをアピールしたい!という人にとっては、「○○女子」「○○男子」の自称はしっくりくるのでしょう。しかし、BLが好きなノンバイナリーはどうでしょうか。私の場合は、自分の好きなこと・ものに性別を付与させたくないので、「BL好き」と自称しています。


🍎BLへのまなざし


 そもそも私はBLをどのように見ているのだろうと考えると、読んでいるときに自分の性別はあまり意識していません。自分は「性別のないロボット」とか、ただ単純な「目」になっている心地です。

 ですが、「男性」である登場人物たちに対してあこがれを持つことがよくあります。女性の身体を受け入れられず、女性として生きようとは思わない私にとっては、女性ではない登場人物たちが生き生きとしている物語が、とても輝いて見えるのです。私もこうだったら良いのに、という「ないものねだり」なのかもしれません。男女二元論的な考えはあまり好きではないのですが、これってかなり男女二元論的ですよね。


🍎BLは対等?


 BLは基本的に男性と男性の恋愛物語だと思います。男性同士で交際するということには、BLの世界といえども様々な困難がないとはいえません。でも、見方を変えると、ある意味同性同士って「対等」とも考えられないでしょうか。


 異性愛のカップルだと、どうしても「男性」対「女性」の構造になってジェンダーギャップの問題が出てくるし、どちらかがどちらかよりも不利・有利になる場面が多々あるし…いわば「暗黙の上下関係」(?)が裏に隠れているのが気になってしまうのです。同性同士の場合、こうしたことをそれほど深刻に考えなくても良いので、安心して物語に入り込めるのです。


🍎一Aセクの恋愛ものの見方


 Aセクシュアルの人は恋愛物語やラブソングなどに馴染みにくい傾向があると思われます(あくまで私の感覚です)。私も、巷にあふれる異性愛のラブコメ作品やラブソングはほとんど摂取しません。恋愛感情がほぼ分からないので、そうした恋愛ものに接しても、共感はまず難しいです。流行のラブソングなどは、まるで外国語のようです。


 私にとって、恋愛は「する」ものではなく「見る」ものなのだなと最近気づきました。傍から(別の次元から)見ている分には楽しいです。でも、自分のこととなると、とても嫌悪感を持ちます。私は恋愛のプレイヤーになることはできません。


 そして恋愛もので避けて通れないのが、カップルの性的な関わりですね。私は性嫌悪が強い方ですが、小説・漫画・映画などの「作品の中の性描写」でしたら、それほど過激なものでなければ耐性があります。私はBLが一番見やすいです。自分の女性の身体を意識しなくて良いからでしょう。百合や男女ものは、どうしても女性が入ってくるので作品によってはキツイこともありますが、最近では以前ほどの嫌悪感はなくなりました。

 長くなりましたが、以上です。