【つれづれ日記】「何を言うかより誰が言うか」の「誰か」になるために
今の時代、情報は溢れている。
正しい情報も間違った情報も、悪意ある嘘だって溢れている。
だから、情報を見たときは「ソースを確認しなさい」と言われている。
もちろん「発信元が誰か」ということだ。
くだらないボケはぎりぎりで言わずに済んだ。
たとえば「ミサイルが発射された」という情報があったとする。
これが誰かのつぶやきなのか、新聞の記事なのかで信憑性は全然違うだろう。
真実はどうあれ、人は「正しそう」と思う情報を基準に動くのだ。
そして、ことこれが「モノの考え方」や「将来設計」などといったものになると、言った人の地位や人気、自分との関係性が基準になる。
ボクが「勉強は大事だ」というのと、ホリエモンが「勉強は大事だ」というのとでは雲泥の差だ。
攻撃力で言えば、ボクが「銅の剣」なら、ホリエモンは「バトルアックス」くらいの違いがあるだろう。
そこまで極端な話でなくとも、親に言われるのと、飲み屋でたまたま隣になった酔っ払いに言われるのでは、聴く姿勢も変わろうというものだ。
逆に親は近すぎて素直に聞けなかったりもするのだけれど。
結局何が言いたいのかというと、タイトルのとおり世の中は「何を言うかより誰が言うか」だということだ。
そしてその「誰か」になるためには、「積み重ねてきたもの」が必要なのだ。
会社を立ち上げて成功させた。
お笑いで人気になってテレビのレギュラーを持っている。
YouTube でチャンネル登録が100万人いる。
子どもをひとり育て上げた。
そんな、今日明日では達成できない「積み重ねてきたもの」が言葉の重さになる。
その点で言えば、このnoteを読んでいるあなたにとって、ボクは何者でもない。
ボク自身、ボクのことを「何かを成し遂げた人物」だと思っていない。
だから、この内容は「路地裏のラクガキ」程度のものでしかないと思っている。
だけど、バンクシーのラクガキが「芸術作品」になったように、この日記もいつの日か「すごい記録」になるかもしれない。
だから・・・
みなさーん!もしかしたら今読んでおくといいことがあるかもしれませんよー!
たぶんないけど。
でも、そうなったらいいなと思いつつ、今日もちまちまnoteを更新しております。
これが「積み重ねてきたもの」だといつか言えますように。
今日はこんなところで。
では!
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