見出し画像

yoru no ume

 今、なんだこのタイトル?って思ったでしょ。
そうなの。ほんとに。自分でも今から何を書こうか確かなことはほとんど決まっていないのだけど、久しぶりに少し時間があるので昨日の出来事について少し書いてみようと思います。

昨日は夜遅くまでバイトをして、たまっていたLINEを返しつつ、珍しくTwitterを開いて、いわゆる「歩きスマホ」をしていたんです。本当はいけないんだけれど…
真っ暗な夜の道をデジタルのライトだけを見つめて歩いていたら、つーんと私の鼻つつくような香りがしてきた。デジタルな世界から現実にぐっと引き戻されるような、どこか懐かしいその香り。

真っ暗なそこで、香りはの正体を探しに私はスマホから目を離して、凝らしてまわった。目を開けているのにそこは暗い世界で、視覚からのうったえはほとんどないので、私の鼻だけを頼りに探す。

少し行ったところに和風な家があって、そこのおうちから香ってきたよう。
そこに咲いていたのが「梅の木」。今回のタイトルの趣旨が少しお分かりいただけたかな…?(笑)

大したことではないのだろうけど、昨日の私にはその香りをかいだだけでなんだか胸がいっぱいになって、すごくうれしい気分になった。

香りって目をつぶっても、耳を閉じても感じられるもの。(鼻が詰まってたら終わりだけど。)
夜は暗くて視界には普段より情報が入りにくく、静かで耳も休まる。だからかな、あんなに香りがダイレクトにうったえかけてきてくれたのは。

田舎育ちなせいか、昔から自然の中から過ごすことが多くて、虫や動物や花や天気がすごくキラキラして見えていた。
自然の不思議に心からの興味をもって、その不思議さに心躍らせていた。

青い空に浮かぶ雲はモクモク雲だけでないことを知り、緑は黄色を帯びているものもあると気づいた。
何か得体のしれないものをもって歩くアリたちにはどこかに巣があることを暗示させ、うるさく鳴くセミは実は儚い命だということ自然から、自分の目で見て知った。

一つ一つの出来事が色鮮やかで、キラキラしていた。

今だってキラキラがなくなったわけじゃない。その頻度が、その解像度が低くなっただけ。でもそれって悲しむことじゃなくて、大人になったってことかもしれない。それはそれで喜ばしいこと。

ずっとキラキラしていたらまぶしすぎるじゃん。
時々あるからそれは輝くと思う。そして、その輝きがうれしいんだと思う。

時々そんなキラキラに気づいて、当たり前のことに感動できる心はいつまでも持ち合わせておきたいと思う。

最後に少しだけいい??
私、昔とっても大好きな人がいたんだけど、その人がBUMP OF CHICKENがとっても好きだったの。好きな人の好きなものって不思議と自分も好きになてしまうもので、私もだんだん好きになっていって。
その中で私が一番好きになった曲が「真っ赤な空をみただろうか」っていう曲。その中のワンフレーズに

ー夕焼け空 きれいだと思う 心をどうか殺さないで
そんな心 馬鹿正直に 話すことを馬鹿にしないでー

っていうところがあるんだけど。ここ、とっても好き。
そんな馬鹿正直な人間に私はなりたいなって思うよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?