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ベル

 ベルのことを知ったのはいつだったか。そうだ、あの頃班活動で日記を書いていたときに、私がこっそり Tadashi の班の日記を読ませてもらったときだった。
 Tadashi が書いたページを開くと上のほう半分だけしか書いてなくて、下半分は真っ白け。なあんだ、たったこれだけなのって思ったけど、それを読んでみたらとてもおもしろかったんだ。
 それにはおかあさんが病気だということと、2,3日前にねずみの赤ちゃんが生まれてとってもかわいいって、ねずみの赤ちゃんのことが書いてあった。へぇー、ネズミなんか飼ってるのかってちょっと驚いた。それで次の日、直接 Tadashi に聞いてみたんだ。
「ねえ、ねずみ、飼ってるの?」
そしたら、彼はこういったっけ。
「うん、飼ってるよ。ネズミっていったら人聞き悪いけど、ほんとうはハムスターっていうの」
「じゃあ、なんで日記にそう書かなかったの?」
「ハムスターのこと、知らないやついるでしょ。ハムスターはネズミの一種だからねずみって書いただけ」
 ちょっと照れくさそうに、それでもなんだか自慢そうに、彼は私に話してくれた。
 それから席替えがあって、私と Tadashi が同じ班になっても、 Tadashi は日記の順番が回ってくるたびにハムスターのことばかりを書いていたし、放課後には本でなにやらハムスターのことを調べてたりしていた。そして、いつも私にハムスターの話をしてくれた。よっぽどかわいくて仕方なかったからなんだろうなあ。
 そんなある日、国語の授業のときに書いた詩をみんなに返されたんだけど、Tadashi はやっぱりハムスターのことを書いていたわけ。それをみんなで読んで、彼の前で大声でからかったから Tadashi はすごく怒っちゃった。怒らせるつもりはなかったのにな。
 ところで、肝心のハムスターの名前はベルというんだけど、それをずっと知らなくて、ベルだとわかったのは、そうそう、あの日、土曜日の午後だった。
 その日はちょうど私たちバレー部のミーティングの日で、6組の教室で話をしていたの。そこへ Tadashi が廊下を通っていくのが見えたから、私は思わず飛び出しちゃった。それは、前の週の土曜日に Tadashi が学校にハムスターを連れてきてたよって友だちが教えてくれていたからだった。だから、その日もハムスターかもしれないって思って飛び出して、彼の姿を見るなり
「あ、ハムスター!」っていっちゃった!
 あわてて彼のそばまで走っていった私は
「ねえ、ハムスター見せてよ」って叫んでた。
 彼はなんにも言わずにすぐにハムスターを渡してくれた。うれしかったなあ。
 部活のみんなは私が急に教室を出て行ったもんだから驚いて、窓から私のほうを見てた。「あ、そうだった、いけない」って思ったけど、あんまりかわいかったから、
「みんなのところへ連れて行ってもいい?」って聞くと
「いいよ」って快く答えてくれたから私ははしゃいじゃって。
 そのとき、ベルは箱に入っていて、そのプラスチック製の小さな箱にBELL って書いてあったの。
「名前はなんていうの?」
「ベル」
 それでベルの名前がわかったんだ。
 それからみんなのところへ行って、私は「見て、見て!」って大はしゃぎ。そしたらみんなもかわいいかわいいって喜んで、もう部活のミーティングになんかならなかった(笑)。
 みんなが我さきにベルにさわろうとして、まるでスター並だったベル。ところが、突然誰かの手に黒いお米みたいなのがついているのに気づいて、
「え、何何?」ってなって、
「それ、ウンチ」って誰かが言ったからみんなで大笑いになり、
それでまた、私の手のひらにベルをのっけてくれたの。そうしたら、なんだか温かくなったなあと思ったら、今度はベルのやつ、私の手の上でおしっこしちゃって。みんなキャーキャー言い出すし、ベルを放っておくわけにもいかないし、私はあわてて
「おしっこしちゃったー!」って、また彼のところまで走って行ったの。彼もおかしそうに笑ってた。
 手洗い場に行って手を洗い、教室に戻っても、部活のみんなはまだベルのことを言っていて、まったく話し合いにはならなかったなあ(笑)。

 やっとミーティングが終わって帰ろうとしていたとき、ベルを入れた箱を持った彼とまた廊下で会ったけど、なんだか話がしにくくて、さよならも言えなかったけど、ベルのことがあってとってもうれしかったから何気なく笑ったら、彼も微笑んでくれて、すっごくいい気分だった。

 それからまた1週間後の土曜日。私と彼はなんだか話しづらくなっていた。すると一人の友だちがこう教えてくれた。
「ベル、いないんだってよ」
「え、どうして?」
「よく知らないけどね、家出しちゃったんだって。あの人ね、逃げないと思ってかごの入り口を開けたままにしてたんだって」
 私はふうっとため息をついた。まだ、たった一度しかベルに会ってないのに。そして彼を見ると、とてもさみしそうに思えてしまった。
「どこに行ったのかわからないんだって」
友だちはそう付け加えた。
 あんなにちっちゃかったんだもの、どこに行ったのかわかんないよね。でも、どうして家出なんかしちゃったんだろう。今頃、道に迷ってるんだろうなあ。ベル、私の家までくればいいのに、なんて夢みたいなことまで考えて。
 だけどベルはそのまま帰ってこなかったらしい。もちろん、私の家にも来ませんでした。それからはベルのことを忘れてしまっていたけど、つい最近、また Tadashi がハムスターを飼っているという噂を耳にしたものだから、私はベルのことを思い出したのでした。



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