むかしむかしのその昔➀ おしゃべりな作文から
小学校2年生のとき、国語の授業で遠足の作文を書いた。先生は400字詰原稿用紙を一人1枚ずつ配り、「紙がいっぱいになった人はここに取りにきて」と言った。
1時限は45分。私はその時間内に9回原稿用紙を取りに行った。先生もクラスメートもびっくり。作文は原稿用紙10枚。私はまだ7歳だった。
何をそんなに書いたのか。私は遠足の話をだれかに話すように、自分が朝起きてから、遠足の植物園に行くまでの様子、植物園で見たもの、友達や先生の様子などなど、ありとあらゆることをただただ書き連ねたのだった。それは私にとっては簡単なことだった。ただしゃべるように書けばよかったのだから。
4年生になり、担任の先生が文章の書き方をとてもていねいに教えてくれた。作文帳があって、1年間で何作品も書いた。一番よく覚えているのは「竹馬乗り」の作文で、竹馬に乗れるようになったことを書いたもの。竹馬に乗って「一歩」を出せるようになった様子。だんだん上達していく様子。そのときのわくわく、どきどき。先生が「本当に今竹馬に乗ってるような文章だね」とほめてくれた。その年は壁新聞を作ったり、脚本を書いたり、日記を書いたりもするようになっていた。
中学生になると「ポエム」を書きはじめる。高校を卒業するまでに自分で編集した自作の本を5冊作った。高校ではバレーボール部と文芸部を掛け持ちしていた。高校2年のときに編集者養成の学校の存在を知る。私は大学へ行くつもりでいたが、3年の夏休みに心変わりして進路変更。編集者の道に進むことにした。
私が目指すのは作家ではない。編集者だ。文章を書くのが好きだけど、私が好きなのは「文を書く」ことだけじゃなくて、「本」を作ることだと思えたから。エディタースクール入学前に提出した作文「本との出逢い」が手元にいまも残っている。そこに私はこう書いている。
自分の才能を考えて踏みとどまって当然だったのかもしれない。
自分でも編集を志すなど大それたことのように思える。しかし、
オリンピックの選手がそうであるように、限界があるとわかってい
ても、それを試す努力が大切なのだと思う。私は真っ白な気持ちで
編集に取り組んでみようと考えている。
次のオリンピックの年には、きっとエディターとして白いページ
を埋めているだろうと信じて。
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