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【小説】太宰治の辞書/北村薫 読了

ちょうど、文学系の学部の学生をしていた際に円紫さんと私シリーズを読んだと思います。

当時の私にとっての『私』は、ちょうど同じ学部の愛すべき知り合いのようで、彼女が日常において感じるちょっとしたことへの動揺や感じ方、日々の愛し方、作品へ向ける眼差しなどを、好ましく見つめていたように思います。

そんな『私』が結婚して、中学生の息子を持つ女性として再登場したことには、たいへん驚きました。

同級生(というのも身勝手な捉え方だったなと恥じ入るばかりですが)と久しぶりに会ってみたら知らない土地で結婚して大きな子供ができていたような感覚でしょうか。

どうして言ってくれなかったのか、相談とまでは行かなくとも、ちょっとくらい教えてくれればよかったのに。そんな戸惑いと寂しさです。

いつの間に出ていたのかと確認すると、発表が2015年、文庫が2017年。つい先日と言うのもはばかられる時間が経過しています。

つまり、不義理を働かれたような反応をしてしまった私こそが、彼女のことを長らく確認しようともしなかったという情の薄さを露呈してしまったようなものでした。お恥ずかしい話です。

すっかり心の距離が(一方的に)離れてしまい、ちゃんと作品を楽しめるか不安で、なかなか読み進められなかったのですが、半分をすぎる頃にはわだかまりも忘れて夢中になっていました。

『私』は素敵な大人になっていて、円紫さんとの関係も、当時のような教え教えられといったものから対等になり、あの時の未来を歩く彼女の様子にまた触れることができ、なんとも嬉しい気持ちになりました。

シリーズ初期の日常の謎ミステリーが好きだったので、そちらからはとっくに離れてしまったことは身勝手なファンとしては少し残念ですが、もしまた彼女の消息を目にすることができれば嬉しく思います。
(調べてみると、シリーズ初期の作品は漫画化しているんですね。機会があったら読んでみたいです。)

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