自分にとっての幸せ
1.なんとなく違う
明日から4月。新年度が始まる。
正直一週間前の自分であれば、ここに書くことを「かっこ悪い」と思い開示することはできなかっただろう。
だからこそ、これからを走りだすために
決別の意も込めて書き残す。
昨年の7月、新卒より6年間勤めた学校法人の
退職と起業することを決めた。
将来なんて、まだ何も見えていないけど決めた。
今、思うとそこから掛け違いは生まれていたのかもしれない。
起業を目指したきっかけは2つ
➊副業にてもっと価値貢献できるフィールドが
あることを知ったから。
➋起業=何者かになれるかもっていう期待。
特に今思うと➋に今まで向き合うことを
避けてきたからだろう。
幼少期の経験からか、異様に他者と比較をし自分を安心させる癖があった。
具体的には
・小学生:中学から私立に行くことを誇示
・高校生:偏差値が一般的に高いと言われる大学に
入学したことを誇示、
・社会人では副業を始めたことを誇示。
表立って誇示することはしなかったが、どれも「他者と自分は違うんだ」と証明したい思いが
選択の決め手の一部であった。
だからこそ、その決断をしたことでの後悔は一切ないが、いつももがいている感覚と、(自分が)秀でていると思ってしまっている状態でなくなることが怖くて焦りしかなかった。
だから社会人になった今。起業という手段で違うことを証明しようとしてした。
その結果、自分はモチベーションを失った。
2.起業を決めた後の葛藤
起業はゴールでも、目的でもなく何か「ありたい」「なりたい」を実現させるための手段。
では、自分は何になりたいのだろうか。
最終的に決めたのは「保育」。
新卒から保育業界に関わっていたこと、元教え子が職場の人間関係によって体を壊したことを動機として最終的には職場改善するために保育コンサルティングをしたいと思った(思うようにした)。また将来的には自分で保育所を建てることも決めた。
決めたことに納得していなかったわけではない。実際教え子と卒業後も過ごせる人生でありたいし、保育業界に対して思うことも多くある。
でも、向き合おうとすればするほど頭が真っ黒く(真っ白ではなく、閉ざされていくような)なっていく感覚になっていった。
でも、そんな頭の中とは裏腹に、周りに対しては起業をする自分を見せることで心の平穏を保っていた。
3.心が折れる直前だった
時は3月。退社へのカウントダウンがいよいよ
始まった。
本心では「あーやばい…」とずっと心で叫んでいたが、平気なふりをすることで平穏を保とうとしたいた。
そのころからだろうか、誰かに連絡をすることもできなくなっていき、誰とも会いたくない、寝ることが怖い、何のために今を過ごしているのか
わからなくなった。
極めつけは、自分が主催をすることを決めていた「ビジョンボード」を作成するイベント。
自分のビジョンを表現しようとしたが、
何も出てこなかった。
唯一でできたのは「何をしたいのかわからないという心の迷い」であった。
何も出てこないことを実感した日、どうしようもなく心が壊れそうになった。そんなときに頼ったのは同い年で、心の内を話せる友人。
4.自分にとっての幸せとは
その友人は精力的に活動をしていて、多用な中すぐに時間をくれた。ある意味、それが1週間先だったとしたらと思うと怖く感じる。
本当に感謝している。
その友人と話す中で、本来の自分と向き合い少しずつ自分に接着剤みたく張り付いていた鎧がはがれていった。
そしてその友人から紹介をいただいた方との対話を通して、鎧が完全に剥がれた。
自分を苦しめていたのは、自分の発する言葉と決めつけ。
周りにこれだけ起業すると言って、引けなくなっていた自分を受け止めたときに見つけた自分の幸せは….
本音を開示し合える人との関係性を大切にしながら、自然とエネルギーが溢れる瞬間に関わりたい。
また関わるうえで、相手にとっての"心"と"機会"の安全地帯を作りたい。
これが自分のなりたい・ありたい姿。
やりたいことは何者かになるために起業をすることではなかった。
これだけ言ってきてダサいなと思ってしまう自分もいるが、それでも「自分らしい」選択と思える、この瞬間のほうが自分を大切にできている
実感がある。
では何をするか。
軸は人の内なる本音が見える・生まれる・
作ること。
【具体例】
・まちづくり
・コミュニティマネジメント/ビルディング
・コーチング
・ライター(インタビュアーも含む)
自分の幸せのために独立する生き方はしていきたいけど、一旦は眠らせておきましょう。
誰かにとって評価されるべき何者かではなく、
心のままに自分のなりたい・ありたい姿に走っていきたい。
さぁ、自分の軸に生きる土台を作る4月にしていこう。