見出し画像

桜の季節を歩く君の背中を見ていた

アイドリッシュセブンを好きになって1年半。             数年越しの愛が、永遠になった気がした。

アイドリッシュセブン、新章を読んでいます。君のための強さ、私だけの想い。春樹の言葉を聞いて、大好きなアイドリッシュセブンと、幸せについて書きました。

アイドルだって人間で、それぞれの生活も、アイドル以外の一面もある。その人間、いち個人にアイドルとして、一生、終わらずいてくれなんて願いはきっと酷なのだとアイドルというものを好きになるにつれ、強く感じるものだった。アイドルを好きになるということは、アイドルとして生きる人間が見せている一面への、名前通りの偶像崇拝、それは十二分にわかっていた。
理解していたその上で、アイドリッシュセブンは、それでも眩しかった。
七瀬陸をはじめとしたキャラクターたちを、アイドルというひとつの面だけではなく1人の人間として、さまざまな角度から見せてくれる。アイドリッシュセブンに登場する人物を一つの角度で切り離すことなく、その人間性を理解することが出来る。

アイドルへの向き合いかたは、そのアイドルとファンの関係性の数だけ存在するのだと思う。あなたの好きなアイドルは何を目指して、なんのために歌っているのか。きっとそれぞれ違って、定義付けることなんてできない。この世の中には”それでいい”ことだってあるということに、気づいたのは最近だ。

私の幸せは、大好きなアイドルが大好きな仲間たちと輝くこと。アイドルたちが、自ら望んで輝くことを喜んでくれること。アイドルたちの愛される姿を、同じ空間で味わうこと。そしていつか、胸を張ってファンだと言えるように、自分の納得できる自分でいることだ。

アイドルって何なんだろう。アイドルの定義は何なんだろう。私にその答えを導くヒントをくれたのも、やっぱりアイドリッシュセブンだった。数字、色、その全てに魂を吹き込んで生かす。まるでストーリー自体がモンスターのように生きているようなそのコンテンツは、色鮮やかで、綺麗で、文字通りの、希望だった、ただそれだけだ。

アイドリッシュセブンという7人のアイドルが存在している、それ自体。    はじめの形から、何一つ変わらない。その姿が当たり前じゃないことを知っている。終わらないでと、笑って願える。
指針だと思えるキャラクターがいる。自分一人で噛み砕けなかった感情を、優しく、綺麗に、時に荒々しく、教えてくれる。
音楽が力をくれる。揃ってほしい音色がそこにある。欲しい言葉を、音に乗せて誓ってくれる。
人生に輝きをくれる。
終わってしまったような夢に、続きをくれる。ゴールだと思っていた地点から、スタートだと笑ってくれる。
期待に耐える、力がある。
クオリティを止めることなく、加速していく姿に時折不安になる。それでもいつだって、アイナナは誰も予測していない次のステップへと進んでいく。その姿が眩しくて、誇らしくて、危なげなのに、そこに不安はひとつもない。

信じていいよと笑ってくれているみたいだ。
たくさんの愛をくれたアイドリッシュセブン、どうか笑って生きて。大好きなアイドルたちをくれてありがとう。

私とぴったりはまったアイドルがアイドリッシュセブンで、それ以上も以下もない。答えを自分で探す楽しさをくれてありがとう。アイドリッシュセブンは、間違いなく私の人生の代名詞のひとつだ。

アイドリッシュセブンに出会えてよかった。次元が違うその上で、こちら側へとアプローチする、最高の作品に出会えて本当に幸せだ。大切に、大切に愛するよ。アイドリッシュセブン、その人生を、アイドルに捧げてくれてありがとう。

もう、この作品を超える作品には出会えないかもしれない。それくらいの想いの覚悟で、僕は君が好きだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?