許されたかった、彼女に、自分に

ずっとずっと、傷つけたことを後悔している友人がいる。その子との連絡手段は彼女から断たれたままで、わたしには謝るすべがない。

これほどまでに、好きと嫌いの表裏一体を感じたのは、人生ではじめてだった。憎いほど彼女のことが友達として大好きだった。

小学校からの親友だった。似たもの同士がきっかけで仲良くなって、私にはいつもその子の言うことが輝いて見えた。クラスが離れたときは私が毎日クラスに行って、泣きついていた。

大好きだった、心から。大好きだったのに、天邪鬼で、わたしは素直になれない子どもだった。

私と彼女はとても似ていたけれど、持って秀でているものだけは違った。私は誰とでも一通り友好関係を保てて、広く浅くの関係をつくることが得意だったし、彼女は仲良くなった人のことは掴んで離さない人だった。

そんな彼女のことが大好きだった。何度も何度も、繰り返すほどに。ずっと、素直に尊敬できていればよかった。

彼女の持つ言葉選びや人を惹きつける力を、わたしは持っていなかった。私にないものをもつ彼女が、私を見てくれなかったのが悔しかった。そしてこれは、きっと彼女も同じだったのだろう。私たちはお互いに本当に大切な存在だったし、私たちにしか楽しめないことがそこには確かにあった。思ってもないことをいって、言葉と態度であまりにも酷く彼女を傷つけた。私にはないものを持っている、彼女のことが、大好きで、辛かった。あげくのはてに、最後には私たちの縁が切れたことについての非は、彼女にあるとまでした。ちがう。そうじゃない。わたしがあなたの素敵なところを、素敵だよっていえなかったからだ。どんなあなたでも、尊敬するよって言えなかったからだ。あの時のわたしは弱くて、ずるくて、今失ってはいけないものを失ったことを、強く強く後悔した。彼女と縁が切れてからの数ヶ月間、あまりにも大きな虚無感に襲われた。だけど彼女の周りにはすべてを埋めてくれる友達がいるし、きっと今はわたしのことも整理がついて、二度と縁を結ばないと思っているんだろう。

私の答えはひとつ。彼女をともだち、と紹介できる私の人生がいい。彼女のことを素敵だねと、今なら素直に認められる、いま。

わたしは彼女に、謝りたい。

謝ることは、自分への許しなのだろうか。彼女を傷つけた罪から逃れたいだけなのだろうか。贖罪が叶わないなら、彼女のような努力をしたい。彼女が隣にいなくても、自分の好きな自分でいたい。

私の生きた20年間で、これが最大の後悔だ。私たちの道はこれから交わらないかもしれないが、きっとそれでいい。別の道で、違う花を咲かせても、いや、きっとその方が、心は軽い。随分と道は逸れたけど、それでも自分のいたい道へ。

贖罪が叶わないのは、彼女からの許しは受けられない何よりの証拠だ。努力をして、夢を掴んで、好きなものに全力で居られる彼女のことを心から尊敬していた。そんな彼女の隣で頑張れる自分自身のことも、好きでいられた。努力をする私の友達は、とっても綺麗だった。それを、素直に、ただ素直に言えばよかったね。本当に、ごめんね。

素敵な名前をもつあなたへ。いつか叶うなら、次は、あなたのことをもう、二度と傷つけない。わたしたちはもう二度とあの時には戻れないけれど、それでもあなたという殻を、二度と嫌いにはなれないんだ。




この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?