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国連の職場はこんなところ。

1.はじめに

今回の記事は「国連の職場はこんなところ。」です。今回は年末も迫った12月23日(金)に開催される、UNCRD一般公開セミナー「国連を職場として」、の準備ノートです。国際系の大学の講義や中高生の出前授業でも毎回少し触れているのが、今回のセミナーのテーマ「国連の職場とはどんなところ?」です。国連は知っているけど、その職場ってよく知らない、とか、国連職員はそもそもどんな仕事しているのか?という質問は毎回お受けします。あとは「国連職員になりたいけど、どうすればなれるのですか?」とか、「どんな学歴や職歴が必要ですか」も毎回お受けする質問です。今回も皆さんのご質問に答えながら楽しいセミナーにしたいと思います。

セミナー参加後の感想:
当日の会場の熱はものすごく暑かったです。2時間近くのトークセッションでは、ほぼ皆さんメモを取りながら真剣に聞いてくれたし、それに答えて僕たちパネリストもエンジン全開トーク、と、日本人国連職員として色々とプラスにもマイナスにも共通することがありすぎて、パネリスト間でも話が盛り上がった状態でした、あと3時間ぐらいは行けそうなくらい。国連職員の苦労や裏話など、普段聞けない話せない事ばかりなので、参加者の皆さんにとっては驚かれたことがあったかもしれませんが、皆さんの将来に役立てるヒントがたくさんあったと思います。皆さんの将来に期待すると共に、国連の職場でお待ちしています。

2.「国連職員になりたい」、その前に考えることがあります。

いきなり夢を壊すタイトルですが、社会人として、そもそも論を考えてそれに対して自分の答えを見つけなければなりません。私たちは必ずどこかのタイミングで社会に出なければなりません。なぜ社会に出るのですか?何のために仕事をするのですか?国連職員になりたい、こんな職業に就きたい、というのはもちろん人生の目標になるので非常に重要ですが、皆さんこの問いを忘れていないでしょうか?「なんで国連職員になりたいのですか?」、「国際協力の仕事は、別に国連職員だけではないのに、なんで国連職員なのですか?」

国連職員やその他全ての職業は、あくまでも何かを達成するための手段にしかすぎません。その何かを達成するというのは、世の中にある課題を解決するためです。例えば、コンビニの店員さんも、コンビニにお買い物に来るお客様の課題、例えばおにぎりを買いたい、という課題を解決するための重要な仕事です。全ての職業がそうです、でも、妄想が大好きな我々人間は、この職業に着いたらきっとこんな素敵な生活が待っているのだろう、と自分自身を中心に置いた自分の欲望を満たすために、その妄想を膨らませて、そしてその職業に就きたい、と思うことが普通だと思います。

でもそれが間違っていることに気が付かない限り、その職業を目指してその職業を手にしたとしても、絶対に自分自身には幸せが来ません。そして、本来であれば、その職業を通して他人の解決することで他人を幸せにする、という社会が求めていることに全く貢献することができません。つまり、誰もが不幸になる事でしょう。その職業になることを第一目的にすると、その職業に就いた瞬間、心の空虚感が現れます。なんせ、目標を達成してしまったからです。これは現在の資本主義の根本となっている物欲と同じです。新型スマホを買った瞬間は気分上々だが、時間が経つにつれそれは単なる機械となり、また新しスマホが欲しい、というエンドレスの物欲と同じ感覚です。つまり、その考えは利己的な考えにしか過ぎないということです。

という僕自身もそれに気が付いたのは、長い学生生活を終えて初めて職を手にした29歳の時です。それまでは、夜間学部生→就職氷河期で職が全くなく、何とか大学院に滑り込む→博士号は取得したが正規の職が見つからず、北京の大学のポスドク(月給2万円)→そして、ついに、夢に見ていた研究職をゲット、でも、何です。なんだか心の中が空虚感で埋まってしまったのがこの時です。研究者になりたいと突っ走ってきたけど、それを手にした瞬間、ようやくこの問いに気が付きました。それは「社会が自分に求めていることは何だろうか?」、「それに応えるためにはどんなことをするべきだろうか?」。この問いを深く考え、自分の興味ある事、将来チャレンジしたい事、だから自分はこの社会的課題を解決するために、研究職に就きたい、とか、国連職員になりたい、とか考えるべきでしょう。国連職員はあくまでも社会的課題を解決するための手段です。社会人は利他的でなければならない、社会的課題を解決するため、他人を幸せにするため、だから社会が自分に求めている問いに対して解決するためにこの職業につかなければならない、それを深く突き止めていく事が、自分自身の幸せにもつながります。

今の自分自身の仕事のど真ん中に来ているキーワードはサステナビリティですが、そのすぐ横に並んでいるのが、Well-being。この1年このWell-beingについて頭の中を巡らせていました。担当している廃棄物に関する難しい専門知識や国際情勢下でのセンシティブな政治関係の中で難しいかじ取りもしてきたのですが、その先の行きつくところは全てWell-beingではないかと思います。全ての人はそれを求めている。でもそれを見つめる前に、目の前の問題で本当に見るべきことが隠されてしまっている、その隠しているモノというのが、人間が物欲で自ら求めてきたもの、つまり利己主義を満たすための全てのモノ。だからこの問い、「なんで国連職員になりたいのか?」、について自分を深く掘らなければなりません。この問いが行きつくところが、国籍や性別、世代や年齢、職業など全く関係なく、人としてのWell-beingを自分自身でどう考えるか、ということになります。

以下のシュヴァイツァーの言葉に出会ったとき、自分自身の中に何かが走りました。それまで少なくとも「日本人として生まれただけでも、世界的には超ラッキーな存在である」とは認識していましたが、シュヴァイツァーの言葉、強く共感します。そういう日本は閉塞感や複雑さが流れている難しい社会ではありますが、それは全て社会が創り上げている事、欲望を満たすために自分を追い込んでいる私たち、それでも世界から見れば超豊かな国に住んでいるには間違いありません。利己主義では本当の心の豊かさは来ません。利他主義を改めて考えなければなりません。Well-beingを深く考えること、シュヴァイツァーの言葉が私たちに問いかけています。

アルベルト・シュヴァイツァー(アルザス人の医師、神学者、哲学者、オルガニスト、音楽学者、博学者)、ノーベル平和賞 (1952)

シュバイツァーの21歳の時の言葉
「ある晴れた夏の朝、眼がさめたとき、〝私はこの幸福をあたりまえのこととして受け取ってはいけない。そのお返しとして何か与えなくてはいけない〟という考えが浮かんだ。30歳までは学問と芸術のために生きてよいことにするが、それ以後は〝人類への直接奉仕に身を捧げよう〟と自分に対して約束した。その将来に計画された仕事の性質がどんなものであるかは、まだ私には明らかではないが、それは事の成り行きが導いてくれるに任せた」。

「自分の仕事で世の中に貢献することは非常に大事です。しかし、もう一つ上のことを考えると、いつも〝直接に奉仕したい〟という思いを持っていることがもっと大事なんです」。

https://schweitzer.org/


3.職場での挑戦と魅力

僕の職場での挑戦と魅力は何といっても、「社会が求めている答えがない問いに挑戦し続けること」です。これが僕の正確にどっぷり当てはまったというのも感じます。ここで言い訳しますが、小中高大とどうも定期試験とか模擬試験とか型にはまった通常の試験に苦手意識がありました。特に国語、まぁ結果的には読書力がないということなのですが、作者の意図とは関係なく自分でその意図を解釈して自分なりに知識を広げて、それを自分自身の知識にしてはダメなのか、という問いの答えに最近気が付きました。その答えは、自分なりに咀嚼して自分の知識にする方が正解(大人になってからの話しですが)ということ。この答えに出会ってから本を読むのが好きになりました。今の仕事も同じです。途上国における廃棄物管理問題の解決には、決まりきった答えがありません。現場の人たちと共に一つずつ作り上げて行く、そして答えを見つけていく、これに挑戦できるのが国連の職場での一番の魅力です。

別の魅力は、普段の生活では絶対にお会いすることがない人とお仕事をご一緒させていただくことです。それも、政治家から外交官、お笑い芸能人から超有名な女優さん、企業のトップの方から店頭にいる店員さん、学術界の知識人から文化人の皆さんまで、時には分野関係なくごちゃまぜでお仕事させていただくことがあります。皆さんそれぞれオーラを持っているのですが、一番共通するのが、皆さん腰が低いということです。その柔らかな人間性は、ご自身でWell-beingを突き止めていった結果と想像します。それに見習って僕自身も人としてのWell-beingを突き止めていきたいと思います。

それと、やはり基本中の基本、国境関係なく仕事をすることも魅力です。日本に生まれて日本で育つと、「国際」と名が付くだけでなんだかスペシャルな感じがしませんか?普通よりも、高いレベルにその「国際」があると感じるのが日本人ではないでしょうか?私の前の職場もそうでしたが、国内案件と国際案件が完全に分離されていて、国際案件は別枠・別予算的な取り扱いとなっていました。前にいた研究所も大学も、日本国内では国内と国際が全て線で引かれています。

国連で働いていると、それが全くありません。全てが地球上で起こっている事、分母が丸ごと一つの職場です。地球上が私の求めている事、地球上の社会が私に対して問うている課題、それを解決する職場が国連です。それが大阪であろうとケニアであろうとどこであろうと、挑戦する使命にあるのが私たち国連職員です。社会直面している地球環境問題を解決せよ、という社会からの問いに挑戦し続ける職場、それが国連の職場、そして国連職員の使命です。

4.それでも国連職員を目指すのですか?

皆さんはそれでも国連職員を目指しますか?国連職員には深く掘り下げた専門知識が必要ですが、それを分野関係なく横展開していく必要があります。そうすることで、自分の専門知識と違う分野での知識から、新たな発想や発見を見つけることができます。残念ながら日本の教育の中心はドリル方式ではありますが、その基礎学力から自分自身で自分の知識を応用していく、言うなれば誰にもない「自分学」を毎日コツコツと作り上げて行くことが、国際的な課題を解決するための職場にたどり着くでしょう。

でもこれは国連の職場だけに限らず、パン屋さんであったりタクシーの運転手さんであったり、主婦の皆様であったり、全ての社会人に当てはまります。これはありとあらゆる哲学者や宗教が伝えている事、例えば仏教であれば空、西郷さんの言葉であれば天道、西洋宗教や哲学であれば天や神様のお告げやお伝え、自然であれば宇宙の法則等、になります。自分自身を正直に深く掘り下げていく事、マインドフルネスもそうですが、そこで必ず出会う社会が自分に問いかけている事、それを人生の中心として利他的に社会で挑戦していく事が、それがWell-being、つまり自分の人生を豊かにすること、他人の人生も豊かにすること、そして社会全体を良くすることにつながります。その中で、自分への問いかけの答えが国連職員であるという皆さん、国連の職場でお待ちしています。

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