「自由進度学習」ぽい授業をはじめなければならなくなった。
「自由進度学習」が流行っているらしい。しかし、流行っているからやらないといけないわけではない。やらなければならない事情が生まれたのだ。外圧ではなく、内部事情によるものである。
2学期の授業の準備はちびちびしていたが、すべて捨てて、再構築しなければならなくなった。しかし2学期までの時間は短い。数日で準備しなければならない。
いろいろと案は考えたが、「自由進度学習」が最善策であろうと結論した。どうにか私ができる範囲でやらねばならない。
こういう制約は、のぞむところではある。制約があるから、人は自由に考えられるし、可能性を広げられる。物質的制約、制度的制約、組織的制約……これらの制約が、可能性を広げる。そう思う。
しかし、言うは易しである。やるのは難しい。実際、いま私は綱渡りをしている。単元の構想および教材開発は間に合うのだろうか。不安しかない。
「自由進度学習」は、定時制の高校にいたときにやったことがある。2019年のことだったと思う。後輩と協力して、ひとつの単元を「自由進度学習」にした。基礎的な課題のプリント、発展的な課題の設定をした。計画表も作った。下の本が出たばかりだった。関係する全員に読んでもらい、巻き込んで、実施した。
いまは「新装版」が出ているらしい。こちらは読んでないし、持ってない。
やってみて、後輩たちはいろいろ手応えを感じ、可能性を感じたようだった。私は言い出しっぺだったが、やってみてあんまり手応えを感じなかった。「うーん……」って感じだった。いろいろ思うことはあったが、そんなによいものではないと思った。自分が1時間ごとに授業展開を変えたほうがいいと思った。生徒の回答や書いたものを踏まえて授業したほうがいい。もちろんそういうやり方で「自由進度学習」ができるのかもしれないが、そこまで「自由進度学習」に義理立てする気もなかった。
だからもう、少なくとも積極的にやることはないと思っていた。2021年ごろから、また流行りはじめたようだったが、私は関心を持てなかった。
しかし、いま必要になった。勉強し直し、情報を仕入れ、実践するところまで持っていかなければならない。
やみくもにプリントを作ってもダメだ。まずは調査である。
ひとまず数冊目を通した。
しかし最後の本以外はほとんど役に立たなかった。最近の教育書は、こんなんでいいのか。まあそんなもんか。
また、教材を作成するときには、例えば次のような本を参考にして作る。
いかんせん、やらなければならない時数が多い。科目も複数ある。厳しい。使えるものは最大限使う。
未就学児向け、義務教育向けのドリルは参考になる。くもんのプリントも役に立つ。
しかし高校国語のリソースは極めて乏しい。ネット上にはほとんどよい塩梅の教材がない(私が見つけられないだけかもしれない。しかし必要な人に届かないなら、存在してないも同義である。)。あんなに参考書や問題集はたくさんあるのに。使えるものがかなり少ない。厳しい。
指導書の問いも使えない(生徒実態に合わないとかではなく、問いが使えない問いなのだ)。副教材、準拠問題も、そのままでは使えない。使い手、解き手のことを考えていないように見える。指導者側の都合だけで、それらしいものが作られているように見える。厳しい。
すでに作られている「ワークシート」とかいう大袈裟な名前のついたプリント類も同様である。ほとんどが指導者側の都合で作られている。役に立たない。厳しい。
けっきょく、ほとんど一から作るしかない。厳しい。
しかし、できることをやるしかない。社会貢献である。誰かや何かに貢献できる。その機会を与えられている。それだけで、感謝せねばならない。
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