「わくわく」「ワクワク」はなんか胡散臭い。

最近よく「わくわくする」だの「ワクワクをだいじに」だの言われるけど、そんなに「わくわく」はだいじなんだろうか、と思う。

なんで「わくわく」しないといけないんだろうか。「わくわく」なんてしなくていい。

大学院に進学して、研究していたとき、とても楽しかった(ちなみに教育学でも文学でも言語学でもなかった)。新しいことを知ること、これまで考えていたことが相対化されること、読めなかった本が読めるようになること。苦しかったけど、楽しかった。

しかしあれが「わくわく」だったか。もっと地味で、なんというかじんわりした何かだったと思う。

好きなことにしてもそうなんだけど、〈気持ち〉に焦点があたるといいことない気がする。生徒の進路指導をしていてそう思う。

進路をどうするか悩んでいるというか、そもそも考える気もないです、みたいな生徒がわりといる。なにやら対象に対する「好き」という〈気持ち〉とか、「わくわく」する〈気持ち〉とかが必要不可欠だと考えすぎているように感じる。そういう〈気持ち〉を持てないから、「やりたいこととかないし……」と投げやりになるんじゃないか。

私なんかは、「わくわく」する〈気持ち〉というのが今ひとつわからない。そんな〈気持ち〉になったことがあっただろうか。記憶にない。わからない。

「わくわく」みたいなのを、自分の行動原理に据えているというのには、胡散臭いものを感じる。勘違いじゃない? とか思っちゃうんだよな。

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