とことん疑って読むことが、結果的に好意的に読むことにつながる。
「批判的に読みましょう」という指示はしない。意味ないからだ。どうすればいいのかがわからない。どう読んでいいのかわからない。
私は生徒に、どんな文章も批判的に読んでほしい。私の文章も、批判的に読んでほしい。
しかし直接「批判的に読みましょう」は言わない。そう言って読めるなら、もう批判的に読めているはずなのだから、わざわざ指示する必要もない。
岩下修氏の「AさせたいならBと言え」や、ランディ・パウシュの『最期の授業』における「頭のフェイント」のように、やってほしいことを直接伝えるのはいい方法ではない、という先人の知恵はもっと共有され、意識され、伝え方や指示の仕方を工夫されるべきだ。
すでに書いたように、〈疑問作文〉で、疑問を探そうとして読むことが、好意的に読むことにつながる。
直接考えさせるのではないやり方をしよう。そのためになにをすべきか(どう指示するか、どう発問するか、どんな学習活動に取り組ませるか)を考えよう。
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