中原街道1 虎ノ門→小杉陣屋
再来週から北陸道を越後国から近江国まで歩くにあたり、この夏は猛暑順応トレーニングが十分に出来ていませんでしたので、今回川崎にご縁ができた知人に会いに行く事を兼ねて中原街道を歩きます。
2024.07.27
1.スタート地点まで
朝テレビをつけると、パリオリンピック開会式を中継してます。
セーヌ川で開会式をやる発想力と勇気、フランスの底力を見た気がします。
前回の東京オリンピック開会式は、中山道大井宿の小料理屋で観ました。
三年前ですが、遥か昔の様に感じます。
この時は中山道の木曽路を歩き終えた頃で、少し気が抜けた頃でした。
無観客のオリンピックも、どことなく気が抜けた感じで、今回のオリンピックの、有観客の大切さ有難さが身に沁みますね。
中山道大井宿を歩いた時の記録はこちら↓
下の画像は、仕事でパリに行っている街道歩き仲間に送ってもらった日本選手団の様子。羨ましいです。
いまから約四半世紀前の1997年、当時住んでいたアパート前の旧中山道に、長野オリンピックの聖火リレーが通るので、夫婦で観に行きました。
長野オリンピックには、開会式やスキージャンプ競技に仕事で行くことが出来た、最高の冬でした。
2.虎ノ門
中原街道の起点は虎ノ門。
何度も通ってましたが、虎の石像があるとは全く気が付きませんでした。
虎ノ門金刀比羅宮は、境内の上にビルが建っています。
都市開発で神社を移転してしまうケースを品川で見ましたので、まだ良い方かもしれませんね。
虎ノ門ヒルズ。
地上64階、高さ330m、東京タワーより3mだけ低い日本一高いビルです。
今、森ビルは◯◯ヒルズという名前で都市開発をしていますが、昔ながらの森ビルがまだまだ虎ノ門付近には残ってます。
◯◯ヒルズが沢山あったので、港区麻布近隣地図に、ヒルズがいくつあるのか数えてみました。
アークヒルズ、愛宕山グリーンヒルズ、オランダヒルズ、もっとあるのかと思いましたが、そうでもないですね。
ノアビル。
50年前の1974年竣工とは思えない、時代を超越した要塞の様な建物。
よく見ると細長い窓があります。
東京タワーが綺麗に見えます。
芝公園周辺は都内でタワーの足元から上まで、前身が見られる貴重なスポット、お勧めです。
3.赤羽橋
味がありますね。商人宿の様な感じです。
港区の地名の由来説明看板。
新旧の地図が示されており、川や道の位置などが比較できるので、とてもわかりやすいです。
駐日クウェート大使館。
1970年、丹下健三設計、時代を感じさせない建物の魅力は何処にあるのでしょうか。
4.高輪台
幽霊坂。
名の由来は、坂の両側に寺院が並んでいたから、有札坂から来ていた、など諸説あります。
ちなみに同じ名前の坂が都内に七カ所あるそうです。
大石良雄等自刃の跡の碑。
大石良雄とは、赤穂浪士四十七士の指導者、播磨赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助の本名。上の画像の石碑の、奥にあった細川家の敷地内にて自刃、享年45歳でした。
東京消防庁 高輪消防署 二本榎出張所。
1933年に建てられた旧高輪消防署、第一次大戦後に流った、ドイツ表現派の建築設計。現在も現役の消防署として活躍し、東京都選定歴史的建造物に選定されています。
寺院の隣に教会が並んでいます。
本立寺 本日の言葉。
本立寺掲示板企画 名言百本ノック その五十二、が家康の言葉。家康はこの中原街道を鷹狩に行く際に何度も通ったそうで、今日この名言を読む事に所縁を感じます。
「不自由を常に思えば不足なし」
良い言葉です、何事も前向きに考えられます。
ビル全館トランクルーム。
街道をあるいていると、郊外の空地にトランクルームをよく目にしますが、東京の都心でも同様のニーズがあるそうで、そのスケール感に驚きました。
5.五反田
雉子神社の境内はビルの下。
先ほど参拝した虎ノ門金刀比羅宮と同じ、東京都心らしい風景です。
只今の時刻は09:09。
歩き始めて2時間半、身体が温まってきました。
夏の街道歩きは、水分補給は当然として、身体を冷ます事が出来れば、熱中症にかかりません。冷ます方法は次の3つ。
ということで、カフェにて身体を冷ましながら朝食を摂ります。
朝食会場はオスロというノルウェー風のカフェ。
珍しいサーモンサンドをオーダー、さわやかな味でした。
6.荏原
サトちゃんは何故象なのか。
象は健康と長生きのシンボルだからだそうです。
1956年にオープンした日本初の大型アーケード商店街。
東京で一番長いアーケード商店街でもあります。
スクエア荏原のカフェ店長の平野さん、小職が理事長を務めるNPOふれあいまちむら興し塾の会員。私の街道歩きの趣味を知らなかったので、驚いていました。
突然の訪問失礼しました。
7.洗足池
千洗教会。
拝礼のタイトルが「互いに足を洗い合う」、洗足の教会らしい内容ですね。
東急池上線。
地下鉄や他の路線と乗り入れていない為、ピュアに沿線文化が残されている希少な路線。山手線に乗り入れている私鉄では唯一かつピカイチです。
呑川。
吞み助としては、この川の名前に共感を覚えます。
東海道を歩いていると、蒲田で呑川を渡ります。海が近いので川幅はこの付近の5倍以上、二年前の春に東海道を歩いた時は桜が満開でした。
桜が咲く東海道呑川を渡った時の記録はこちら↓
鰻家。
「じかんかかるよ」の看板が美味しさを伝えてます。
この付近は田園調布一丁目。
田園調布の印象が高級住宅地でしたが、普通の街並みもあるのですね。
8.丸子の渡し
多摩川に着きました。
熱中症対策で、こまめに身体を冷やす休憩を繰り返し歩いて来たので、虎ノ門を出てから16㎞と、近いのです結構な時間がかかりました。
熱い中6時間歩いている自分が言うのも何ですが、裸で日焼けをしている人々が5人位いましたが、何を目指しているのか気になります。
街道がご縁で知り合った川崎市の島田さんと合流。
50代中頃に、激務と飲み過ぎ食べすぎで太った身体を戻すために街道歩きを始め、ダイエットに成功したそうです。
本日は小杉御殿周辺をご案内いただきます。
丸子橋、良い橋ですね。
こんなに広い橋の歩道は見たことがありません。
9.小杉陣屋
神奈川県川崎市に入りました。
丸子の渡しの標柱を、島田さんがこの辺にあったはず、と言いながら草むらをかき分け発見。さすが川崎市民、何でも知っています。
川崎市中原区。
平塚の中原御殿まで通じる中原街道が通っていた影響で、中原区と命名したそうです。
陣屋門を大切に残しています。
人屋跡の敷地には、落ち着いた色合いのマンションが建っていました。
ここまで見事な桝形は、首都圏の都市部では滅多にお目にかかれません。
桝形周辺の区画整理が進んでおり、近い間に桝形を取り巻く交通の流れが大きく変わりそうです。
本日はここまで。
エネルギーの補給に向かいます。
島田さんにご案内いただいた三ちゃん食堂、最高でした。
お付き合いいただいた上に、スッカリご馳走になってしまい、本当にありがとうございました。
今度はさいたまでご馳走させてください。
本来でしたら自宅に帰るところですが、街道歩き仲間七人衆のうち3人が東急沿線、横浜市都筑区・川崎市宮前区・東京都世田谷区在住、日吉に集合しガヤガヤしてきました。
島田さんが本日歩いた記録をYouTubeにアップしましたの紹介します↓
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