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奥州道中3 大田原宿→芦野宿

1991~1993年 東海道五十三次 完歩
2021年 春~夏 中山道六十九次 完歩
2021年 秋 甲州道中四十四次 完歩
2021年 秋~冬 日光道中二十一次 完歩2022年 冬 奥州道中十次
→五街道完歩に向け、北に向かいます

2022.01.22


1.北に向かって

朝、最寄りの与野駅に着くと振替輸送のポスターが。
えっ運休か⁈と焦って読んだら、運休時用に作ったおいたもので、よく読むと、旧中山道の表記が。
それだけでテンション上がります。


さいたま新都心での乗換え時間、暇なので駅ナカ散策。コインロッカーをみていると、7割がICカード対応で3割がコイン対応、いつかコインの文字が消えて、ザ・ロッカーみたいになるかも。

写真見るとコイン対応ロッカーの鍵の札の色が緑色、以前は赤でした。
なぜ赤かと考えたら、IC対応ロッカーの未使用中ロッカーのランプが緑で、使用中が赤なので、IC用に合わせたのでしょうね。
私の勝手な想像ですが…。


貨物には雪が付いてます、奥州道中で雪が降っていないことを祈り、75分間宇都宮線に揺られて宇都宮駅へ。


宇都宮駅から更に乗り換えるて45分、西那須野駅へ。バスに15分揺られ出発地点の大田原宿に到着します。


2.大田原宿

バス停から奥州道中までの途中にも、歴史的建造物がいくつか残ってました。


家を出てから180分、ようやく出発です。


パン&ケーキのアブラヤ。昔は油屋さんだったのでしょうね。


大田原の町並みと大田原城跡。


川の近くの川魚屋さんに対して、道を挟んで佇む鯛焼屋さんがシュール。


蛇尾川と蛇尾橋。


水が綺麗、なんとこの川の上流は15kmくらいの、水が地表に流れていない、伏流区間があるそうです。


歩道の狭い県道を歩きます。



3.中田原

中田原工業団地分譲中、家みたいに販売してますね。


白河ラーメン、ゴールに近づいている事を実感します。


暫く続く、穏やかで平坦な風景。


東山道の石碑、珍しいですね。
南"奈良の国へ"と記されてます。


味噌蔵。


中田原の一里塚。
大田原市の中田原、とくれば小田原はあるのかと探しましたがありませんでした。
ちなみに大田原市と小田原市は、何の関係もありません。


工場のユンボがガダゴト県道を走ってて、警備員さんは後向きに歩きながら誘導、高度なテクニックです。


聖徳皇太子の文字が刻まれた石碑。
大田原神社に、"大工の祖神"と言われている聖徳太子の碑があることと関係がありそうです。


棚倉街道との追分の道標。
水戸経由で江戸に向かう事もできます。


天然記念物、コウヤマキ。


ポツンと立つ石仏。


4.鬼瓦の町

鬼瓦の家紋、様々な種類があり面白いのですが、この建物は家紋から判断すると、元々郵便局であった事が判ります。
隣が現役の郵便局でした。


赤い屋根が三件並んでます。


相の川、水草が生える綺麗な流れ。


奥州道中らしい眺め、空が広く感じます。


麻疹地蔵堂、日光連山がいつの間にか後方に、いつまで眺められるかなぁ。


福島県の白石の名物"うーめん"の店と、日本一の唐辛子の産地、大田原らしいキムチのお店。


道路標識に、白河の文字が、福島県が近づいてきてます。


鬼瓦が立派な家が増えてきました。


青空が鬼瓦の美しさを際立たせてます。


鬼瓦の家々の屋根の色が、赤・銀・水色・緑、色とりどりで美しかった。


愛宕神社。
愛宕神社は全国に約900あり、総本社は京都で市内最高峰の愛宕山山頂に鎮座、学生の頃登りました。


那須湯道との追分の道標。


明治天皇御休憩記念碑。



5.牛の牧場とモグラの巣

那須塩原市に入ります。


白鳥の沼、飛来する時期なのですが、1.6kmは歩きたくない。


牧場が増えてきます、おそらく乳牛。


県道交通量が少なくなり、時折牧場の香りが漂ったりします。


畑にはモグラが創った芸術的な穴作品群。穴作品群北斜面には残雪が、この辺りは気温が低いのですね。


道が狭くなり、空が更に広くなります。


樋沢の大沼、昔人食い鰻がいた沼、今日は凍結してました。


6.鍋掛宿

鍋掛の一里塚。

塚の奥に鳥居と階段が、行くか迷った時は、行った方が良いのが、街道の鉄則。
階段の上に現れたのは、青い空と白い雪と森に、包まれるように佇む愛宕神社。


階段登ってきて良かったです。


お腹が空いたので、燃料補給。
上品な味の塩ラーメン、家内が日光道中・奥州道中で食べた中で、ナンバーワンと喜んでました。


鍋掛宿の町並み、ガードレールの代わりに石仏風の石が並んでます。


宿場の中心地にやってきました。


芭蕉の句碑。


白河宿まで残り七里。


橋が見えてきました、結構立派です。日光道中の千住大橋、中山道の太田橋を思い出しました。



那珂川にかかる昭明橋。
立派ですね!昭和9年、昭和の時代を明るくしたい、との鍋掛村の住民の思いから命名されました。


7.越塚宿

越塚宿の町中に入ります。


浄泉寺にある境界石。



越堀の大杉の表札が。
階段を登りきっても何もなく、更に急斜面を登ると、


ありました!
かなりの迫力です。
登ってよかった。


この辺りが越堀宿の中心地。


桝形、美しいカーブ。


道がかなり狭くなってきました。


木材の産地でもあるので、ときどき木材を積んだトラックを見かけます。



モグラの寝床と、道祖神様。


読めない…。


寺子の一里塚、江戸より四十二里。


寺子地蔵、餓死者を供養するために建てられました。


余笹川、上陸左側には段丘がみえます。


牛の石像、天満宮にいる牛みたいですね。
天満宮に牛の像があるのは何故かというと、天満宮とは菅原道真を御祭神とする神社で、菅原道真が丑年生まれとか、丑の日に亡くなったとか、諸説あります。
この牛の石仏は、乳牛や肉牛の供養塔でしょうかね。


寒冷地の梨畑なので、お茶畑でよくみる霜焼けの扇風機がいくつも建ってます。
北海道みたいな景色に見惚れていると、栃木県最北端の町、那須町に入りました。
20代は栃木県内を営業職で走り回っていた時に時々来ましたが、平成の大合併に巻きこまれず町として残っている事に驚きました。なんか嬉しいです。


佐久山宿以来の、県道から逸れた本来の街道、落ち着いて歩けます。


黒川、渡るとあと少しで芦野温泉。


枝が桃色の木、なんだろう。
またもや石碑は読めず…。


瑞穂農場、茨城県常陸太田市を拠点に全国展開している、農業生産法人。ここでは肉牛・乳牛両方を飼育してます。


夫婦石の一里塚。


熊笹がいつの間にか生えてました。


8.芦野温泉

芦野温泉に着くと、街道の案内が。



石彫刻の名工の作品と案内。


いざ入浴!
こちらは薬草湯が有名で、一番濃そうな薬湯に入っていたら、股間が痛くなってきました。心配になりあわてて出て、別の湯に入ったりして、痛みを治めてから温泉を出ました。
家内に恥ずかしながらその話をしたら、私も!となり大爆笑。
調べたら、日本一痛い温泉と、紹介されいろんな方がレポートしてますので、検索してみてください。


菖蒲川を渡り、芦野宿が近づいてきました。


9.芦野宿

こちらは奈良川、架かる橋の名前を調べ損ねましたが、とても風情ある橋。


大仏とまでいきませんが、大きめの仏様に挨拶して、町に入ります。


屋号付きの石灯籠が、なんと各家の前に建ってます。


こんなに立派な屋号の表札が、こんなに沢山ある宿場町、日本にないと思います。


桝形と町並み。


石の美術館、先程芦野温泉の前にも石仏の案内があったので、関係があるのでしょう。冬季休業でした。


この新聞屋さん、日経以外全部ある。独占企業ですね。


本日はここまで、バスに乗って黒田原駅に向かいます。


10.本日の大谷石建造物と火の見櫓

大谷石建造物は、だんだん減ってきました。



火の見櫓は、だんだん増えてきました。



黒田原駅で、45分位待ち時間があるので町散策。


今日のお土産はこちらで。
勢いのある店員さん言われるがままに、おすすめされた和菓子"だっぱら"を購入。
栗の周りを白餡で包み、その外側がパリッとした皮で覆われた上品な和菓子。

那須は日本屈指の馬の産地で、このような像が駅前に立ってました。



黒田原駅、カワイイ駅です。


夕陽に向かって各駅停車で、3時間強の旅が始まります。


途中の黒磯駅に、昔の電車の行き先表示が、私の故郷の最寄駅茨城県の古河駅に向かう時は、上野駅でこの表示をみて電車に乗ったので、懐かしくて涙が出そうでした。


こちらが、"だっばら"、美味しかった!

来週で奥州道中最終日、寂しいですね。



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