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街道歩き温故知新1 長崎街道 筑豊編

街道歩きは前に進む事で精一杯。寄り道できず、又来ようと心に誓った場所は数知れず。そんな場所を訪れるシリーズ、街道歩き温故知新。

今回は、2023年冬に長崎街道を歩いた際に、筑豊地区の商店街の栄枯盛衰を目の当たりにし、それに大きく影響したと思われる炭鉱文化を深く知りたくなり、長崎街道沿いの炭鉱の街、直方市と飯塚市を再訪しました。



2024.07.12

1.目的地まで

東京から空路福岡へ

宮崎県五ヶ瀬町で仕事が入った時に、九州に行くなら、長崎街道で再び訪れてみたいと思った二つの地を思い出しました。
 一つ目は、筑豊地方の炭鉱史跡。
 二つ目は、大村湾周辺のキリシタン史跡。
2日早く福岡県に入れば一つ目の筑豊地方は行ける!

博多駅で見た飛行機みたいな特急

思い立ったら吉日、仕事的にハードな時期ですが、この機を逃すといつ行けるかわからなくなるのではと、飛行機とホテルを予約して、自分を追い込みます。
50歳を過ぎると、”この機を逃すと”的な考えに迷いが無くなります。

直方駅

千葉県の職場から、仕事終わりに羽田空港に直行、今回は福岡県直方市のホテルに2泊して、炭鉱史跡を巡ります。

大関魁皇の立像
直方山笠

山笠が近い!祭りの準備風景が楽しめるかもしれません。
祭りは本番が一番良いのですが、人々が一年ぶりに集う祭りの準備期間の風景も、なかなか良いものです。

1軒目 花すいせん

時刻は21:20、夕飯を食べていなかったので店探検開始。
探すポイントは三つの"そう"。

①カウンターがありそう
②入りづらそう
③混んでいそう

1軒目 花すいせん
8席くらいあるカウンターが、私と同世代と思われるスーツを着た紳士が、肩を寄せ合い語り合っており、残念ながら満席でした。

二軒目 茂蔵

二軒目 茂蔵

お店がもう終わりなのか、入れる雰囲気ではありませんでした。

三件目 都

三件目 都
えいゃと扉を開くと、こちらも8席くらいのL字型のカウンターに、私より一回り上の世代の紳士淑女が、これまた肩を寄せ合い盛り上がってます。
奥の小上がりは生活用品が置かれていて座る余地無し。カウンターが1席だけ空いておりそこにお邪魔する事に。

長崎街道

既に仕上がっている両隣の紳士と乾杯。埼玉から来たと話したら、かなり驚いてました。
明日訪問する直方市石炭記念館について、どんな所か尋ねると、誰も行った事すらない感じで、唯一わかったことは、館長が個性的と言うこと位でした。
そのうち隣の紳士からは、奢るからもう一軒行こうと誘われ…

←彦山川 遠賀川→

お店はカウンターの小料理屋さんかと思っていたら、1曲200円でカラオケが歌えるシステム。
みんなそれを楽しに次々と歌声を披露し始めます。
実は私カラオケが大の苦手なので、歌わされる前に、そろ〜っとお会計して別れを告げて宿に向かいました。


2024.07.13

2.直方の街道リベンジ

茶系の朝食
明日までお世話になる宿泊施設
日ノ出橋
←彦山川 遠賀川→

街道歩きに道間違えはつきもの。
往時のの旅人も間違えていた筈なので、私は道を間違えたら、次に歩けば良いと開き直ってます。

長崎街道

これから歩く数百メートルが、その間違えて歩けなかった区間、楽しみです!
不思議と身体が覚えているものですね。

双子銀杏
頓野口渡し場跡 説明看板
商店街アーケード
山笠の準備に向かう若者

祭りの準備、良い光景ですね〜

長崎街道に入りました

街道を歩いていると、燕の姿をよく目にしますが、なかなかうまく撮影出来ません。
一度だけ、餌付けの瞬間の撮影に成功した時の画像を紹介します。場所は中山道長野県の塩名田宿、脚の靭帯を痛めてしまい前に進めなくなりバス待合室で雨宿りしながら休憩していた時のことでした。

(2021.05.16 中山道 塩名田宿)

親を待つ雛、不安そうに見えますね。

(2021.05.16 中山道 塩名田宿)

そこに颯爽と親鳥がやってきます。

(2021.05.16 中山道 塩名田宿)

餌付けすると、すぐ後ろからもう1羽がやってきてます。生き物の親の愛は皆一緒ですね。
中山道塩名田宿を歩いた時の記録はこちら↓


まとや

街道を歩いていると、和菓子屋さんをよく目にします。
往時から代々続いている様な店があったりして心惹かれますが、歩くモードに入ると脚が止まりません。

まとやの成金饅頭

まとや。
直方のシャッター商店街の中で、異彩を放っており、次に来たら立ち寄りたいなと考えていた店です。

まとや店内

人気の成金饅頭を落ち着いた店内で美味しくいただきました。
私が購入したら残りひとつ、人気なんですね。


3.直方市石炭記念館

多賀神社

今回、一番行きたかった場所が直方市石炭記念館。

前回歩いた時の記録には、
本日は時間が無くて寄れませんが、次回見にきたい場所、
と記されていました。
直方・飯塚を歩いた時の記録はこちら↓



左 平成筑豊鉄道 右 筑豊本線
坑夫の像
坑夫の像 説明看板
坑夫三人
石炭記念館
石炭記念館 全景
石炭記念館 説明看板
筑豊とは

筑豊の語源は、筑前国と豊前国にまたがる地域から来ています。
知りませんでした。

練習坑道
練習坑道の経緯

この場所には練習坑道がありました。
練習坑道とは、災害時のレスキュー訓練施設、全国の炭鉱から関係者が研修に来ていたそうです。

八尋孝司館長

館内のご説明を、館長の八尋孝司さんにして頂きました。
博学でお話が上手で情熱的で、あっという間の一時間。

ボタ山の説明をする八尋館長

八尋さんは元々は国鉄の運転手で、蒸気機関車から特急まで、様々な車種を運転されたそうです。
参考までに、"運転手"は電車 自動車などを運転をする人で、"運転士"は電車 自動車を運転する業務に従事する人です。

住友鉱業忠隈炭鉱の全景

八尋さんが、一番美しい写真と説明されたのが上の画像。
石炭発掘時の岩石廃棄物を積み上げた山、通称"ボタ山"と、その周辺に整然と並ぶ"炭住"と呼ばれる炭鉱住宅群、この様な全景が撮影された画像は希少らしいです。

筑豊炭田のはじまり
堀川開さくの由来
艜石炭運賃表
川艜
川艜

川艜(かわひらた)。
石炭を運ぶ底が平らな運搬船。
舟運は筑豊炭田の重要な輸送ルートで、遠賀川からの途中、長崎街道木屋瀬宿から北九州市の洞海湾とを繋ぐ、堀川と言われる運河を通じて石炭を運んでいました。

筑豊 小倉炭田地図
宗像 粕谷 福岡炭田地図
直方と林芙美子
筑豊の五大炭鉱王

筑豊の五大炭鉱王。
上の画面左から、堀三太郎・伊藤伝右衛門・安川敬一郎・麻生太助・貝島太助。

掘削機
従業員輸送車輌

今日はこの後、今回の旅の二つ目の目的地、飯塚市にある炭鉱王、伊藤伝右衛門邸を訪れます。

多賀神社拝殿
懐かしい国鉄型車輌
カレー焼 次元
カレー焼
直方駅

直方駅は、黒いダイヤ・石炭の色をしてます。


4.旧伊藤伝右衛門邸

(2023.12.24 長崎街道 黒崎宿)

伊藤伝右衛門を知ったのは、昨年冬に長崎街道を歩いた際に、黒崎宿の居酒屋こてつで、隣に座っていた同世代の方との会話からでした。

(2023.12.24 長崎街道 黒崎宿)

明日は飯塚まで歩くと伝えたところ、炭鉱王伊藤伝右衛門の、武勇伝や後妻の柳原白蓮との悲しい物語を語ってくださり、衝撃を受けます。
その際に、飯塚に行くなら伊藤伝衛門邸に是非行ってくださいと言われました。
その後飯塚宿で、道に迷っていたところ、奇遇にも伊藤伝右衛門邸の、とてつもなく大きな屋敷の門前に辿り着いてました。

(2023.12.25 長崎街道 飯塚市幸袋)

残念なことに閉館後で、これは次に来た時にリベンジすると心に誓います。

そんな事を思い出しながら、直方駅から飯塚市幸袋にある伊藤伝右衛門邸を目指します。

筑豊本線 鯰田駅
飲食店風の券売機
遠賀川 下流
コミュニティバス
川島 幸袋 夢の大橋
川島の民間信仰遺跡

今回は街道歩きが目的ではないので、鉄馬車(鉄道)や、馬車(バス)に、何の躊躇いもなく乗ります。

川島の民間信仰遺跡 地図
伊藤伝右衛門邸が見えてきました
長崎街道に入りました
長い塀
大きな長屋門
今日は開門してます
旧伊藤伝右衛門邸 説明看板

遂に入る事ができました。
ゆっくりと楽しませていただきます。

客間
回遊式庭園

1911年、前妻を失った50歳の伊藤伝右衛門は、伯爵柳原前光の娘で25歳の燁子(白蓮)と結婚し、飯塚に迎え入れるにあたり、日本建築の粋を集めて自宅を改築しました。

客間から望む庭園
広い廊下

約10年間、伝右衛門と白蓮はこの地で波乱万丈の恋物語を展開します。
複雑な結婚生活だった様で、白蓮は絶縁状を残しこの邸を去りました。

母屋全景

上の画像、左側の二階が増築した白蓮の部屋。
館内には離縁に関する説明は無かったのですが、売店で絶縁状の原文コピーが1枚数百円で売っていました。


5.飯塚宿のリベンジ

個性的な歩道橋

この歩道橋を渡った少し先から、道を大きく間違えてしまったので、これからリベンジします。

山笠の準備
街道と山笠の幟
ここまでがリベンジ区間

前回間違えて歩けなかった区間、1km位でしたがリベンジ出来ました。
細やかな喜びを噛み締めます。

曩祖八幡宮
茅の輪と拝殿
七夕飾り
風鈴

曩祖八幡宮。
飯塚山笠の出発地点、狭いので当日は身動きが取れなくなるくらい、人が集まりそうです。

本町商店街入口

前回、早朝で気付かなかったのが、銘菓ひよこ発祥の地。
こちらが飯塚市にあるひよこの店舗。

ひよ子本舗吉野堂 飯塚店
ひよこと翼のオブジェ
店内の風景

ごく普通にひよこを販売しており、発祥の地について一切触れてません。
店内で抹茶ひよこを購入しお土産にしました。


6.山笠

菰田流
西流
二瀬流
東流

山笠祭りは、福岡市博多区が有名ですが、福岡県内でも10以上開催されてます。
褌の男衆が街を駆け抜けるのが、舁き山笠(ひきやま)と呼ばれ、飯塚山笠は四つの流(ながれ)があります。

参考までに、博多の山笠の流れは7つ。12年前に見に行って知ったのですが、福岡市の祭りではなく、博多区の祭りなので、舁き山笠は博多区内を駆け抜けてます。

西流の幟
東流の幟

商店街の幟が途中から、西流から東流に変わります。

飾り山笠
飾り山笠 説明看板

飾り山笠は、街を駆け抜ける舁き山笠と違い、文字通り飾る山笠。
昔はこのくらいの高さがあったそうですが、電線を切ってしまうので、舁き山笠は低くなったそうです。

嘉穂劇場

嘉穂劇場(かほげきじょう)。
ここも前回立ち寄れなかった場所。
筑豊炭田の相次ぐ閉山に伴い、50近くあった芝居小屋の中で、唯一残っていたのが嘉穂劇場。残念なことに閉館してました。
コロナの影響で運営団体が解散した事が影響しており、担い手が現れない限り、自治体の予算での運営は厳しそうです。

東流 舁き山笠
東流 舁き山笠

本日の山笠祭りは流舁き(ながれがき)という、街中をお披露目のような感じで駆け巡ります。
最終日はニュースでよく見る、追い山(おいやま)と呼ばれる、定められたルートを駆け抜けて速さを競う行事。
スタート地点は、先程通過した嚢祖八幡宮前です。


7.筑豊クラフトビール

スタンドバー

雨がひどくなり、商店街を歩きながら昼食場所を探しに彷徨っていると、ひよこの店の向かいにスタンドバーが開いてます。

日替り店舗

日替りでオーナーが入れ替わるスタイルの店舗。
本日は二十歳の若きマスターと、中年の筑豊クラフトビール醸造家がオーナーです。

若きマスター

只今の時刻は15:30。
遅い昼食と、雨宿りと、次のお店に行くまでのつなぎに、と小休止する事に。

長崎街道からくり時計
からくり時計終了

只今の時刻は17:00。
案外と入れ替わり立ち替わり、これから飲みに行く前に軽くひっかけて行く人が来て、お話ししているうちに1時間30分が過ぎました。

山笠 西流 流舁き
山笠 西流 流舁き

山笠の流舁きの時間になり、店の前や近くがルートなので、掛け声かけたり飲んだり、忙しくなってきます。

麻生太郎お膝元
終わりが見えない状態に

只今の時刻は20:00。
筑豊クラフトビール醸造家がシェアハウスオーナーで、長期滞在しているお客さんが飲みに来てて、ご一緒していたら宅飲みみたいになってきました。
16:00頃に一緒に飲んでた方々が、次の店で飲み終えて、まだ飲んでるの?と呆れ笑いで通り過ぎていきます。

クラフトビール醸造家とパチリ

只今の時刻は21:00。
ここに三日間いたら、NHKの人気番組"72時間“の様になりそうなので解散。

筑豊クラフトビール、美味しくて、普段ビールはあまり飲まないのですが、最後まで飲み続けてました。

飯塚駅
不思議な顔の電車
丸い吊り革レール

寝過ごして北九州に行きそうになりながら、なんとか直方駅に到着。

←彦山川 遠賀川→

日ノ出橋からの眺め。
これで4回目になります。

街道歩き温故知新の旅はこれまで。
次は中山道木曽路編の予定です。

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