東海道 復路 22 平塚宿→戸塚宿
31年前、卒業旅行で東海道を江戸日本橋から京三条大橋まで歩いたので、今回は江戸に向けて歩きます。
調べたところ、大坂高麗橋が起点の様なので少し長めの、東海道"五十七次"の独り珍道中を始めます。
23.03.14
1.平塚宿
サウナ付きのホテル。
元々あったビジネスホテルの1階のパブリックスペースと思われる場所を、サウナが楽しめる大浴場に改装した感じのホテル、快適に過ごせました。
せっかちな私は未だに"整う"がどんな感じかわかりません…。
神奈川県の宿場町の駅前は、どこも驚くくらいに賑やかです。
日本第2位の人口がいるんだなぁと、歩いているとしみじみと感じる事が出来ました。
平塚を歩いていると、遺構が殆ど残っていません。その様な街は概ね空襲を受けております。戦時中平塚には海軍の施設があり、市域の8割が焼失。
二度とそんなことがありません様に。
相模川は海が近いので結構な川幅。
富士川・大井川・天竜川は河川敷幅が1km近くありますが川幅が10~30m位ですが、相模川は目測ですが河川敷幅400mに対し川幅300m位に見えました。
2.南湖の左富士
あちこちで目にする産業道路。
工業地帯を結ぶ道の印象がありますが実際はどうなのでしょうか。
さいたま市の自宅近くの産業道路は、前後にキューポラの街で有名になった鋳物工場地帯の川口と、新しい工業団地がある大宮・上尾を結び、中山道と平行して走ってます。
南湖の左富士。
左富士は吉原宿だけかと思っていましたが、まだありました。私は西から歩いてきているので、右富士ですけどね。
3.茅ヶ崎宿
この缶詰、スーパーマーケットで買った事ないですがよく見かけます。
イトーヨーカドー。
先週創業者の伊藤雅俊さんが他界しました。これからは店舗再編で店舗が減っていき、街道歩きで目にする事も稀になると思います。
現代版の茶屋としてセブンイレブンには、街道歩きでは一番お世話になってますので、新しい業態としてヨーカ堂のDNAは引き継がれていくと思います。
参考までにヨーカ堂の前身は浅草の洋品店"羊華堂"でした。
神奈川県に入り横浜に近づいてくると、人も自転車も車も、平日である事も影響してますが、圧倒的に増えてきます。
歩道が狭くなり、キョロキョロしながら撮影していると、自転車と激突しそうになるので、細心の注意が必要。
4.松並木
松並木と国道1号と暫く並走します。忘れてましたが、箱根駅伝もこの道を走っているのですね。
5.大山道追分
大山道追分。
大山道も歩いてみたい道、歩いてみたい道が多すぎて困ります…
ワイン生産日本一の工場が神奈川県にあるんですね。山梨や長野にあるのかと思ってました。
昼食会場の店名は"街道や"。
東海道の緩やかなカーブの曲がり角という、いいポジションニング。美味しく頂きました。
6.藤沢宿
藤沢宿に入りました。
鎌倉8km江ノ島6km、日本有数の観光地が近くにあります。
この付近に赤い鳥居、江ノ島一ノ鳥居があり、くぐるとその先は江ノ島道でした。
藤沢宿は、大山・江ノ島・鎌倉に参詣や観光に行く人々で賑わった街。どことなくのんびりとした雰囲気が残ってます。
7.遊行寺坂
江戸見附を過ぎると、遊行寺坂の始まり。直線の長い坂が続き、自動車も自転車もビュンビュン行き来してます。
大坂を昇りきると松並木跡の石碑が。説明を読むと1960年に全国的に猛威をふるった松食虫の影響で国内の杉並木の大半が枯れてしまったそうです。
そう考えると、残されている松並木の保存には、街道沿道の各自治体の並々ならぬ努力あってこそなのだと実感しました。
横浜市に入ったからか、横浜家系ラーメンの店が立て続けに二軒登場。
気合い入っている感じですね!
松並木も街道の遺構も跡形もない国道1号をひたすら歩きます。
その間ずっと電柱広告が、"宝ビスケット"、"宝製菓"の繰り返し。調べたところ先程通過した付近に本社があり、戦後にパン作りから始まり今はビスケット一筋になってます。神奈川県民はご存知なんでしょうね。
8.大坂
藤沢宿から、こんなに坂昇ったかなあ?と思うくらい大坂の下り坂が長く感じられました。
崖の上から眺められる、どこまでも続く住宅地が、氷河の流れの如く伸びています。
さすが人口日本一の市町村横浜市、377万人も住んでます。
9.戸塚宿
戸塚宿に到着。
もう少しいけそうですが、4日目で120km以上歩くと、一踏ん張りの気力がなくなってました。
明日からの仕事に備えて帰ります。
次回は春分の日に、戸塚から川崎を、その後の土曜日に、日本橋を目指します。
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