大山道 矢倉沢往還2 鷺沼→国分宿
大山道を歩こうと調べていると、東海道の脇往還と同じルートで、矢倉沢往還と呼ばれ沼津宿まで続いていた事が発覚。山岳信仰よりも街道信仰が厚い私は、大山よりも沼津を目指したくなってきました。どちらを目指すか、夫婦で歩きながら終点を考えることにします。
2023.10.21
1.スタート地点まで
今年一番寒い朝かもしれません。
と言っても16℃くらいですが、長袖を重ね着して、スタート地点の鷺沼に向かいます。
この時間の渋谷は人が少ないですね。スクランブル交差点とハチ公前もこんな感じ。今年のハロウィン、ハチ公前は危険なのでバリケードを設置するそうです。
昨年のソウル梨泰院の事故を教訓にして欲しいと、切に願います。
いつも思うのですが、電車で移動すると一日一生懸命に歩いた場所を30分位で着いてしまうという現実に、毎度毎度小さな悔しさを覚えてしまいます。
2.鷺沼
これから先は、旧街道跡が住宅地で寸断されている場所が多く、一直線で進むべき道を、カクカク曲がりながら進みます。
直角二等辺三角形⊿で考えると、街道は三角形の長辺部分を通ってましたが、この付近は2つの短辺をカクカクと歩きますので、√2(ルート2)倍なので1.4倍の距離を歩く羽目になります。
数学で学んだルートが、55年の人生で初めて役に立ちました!
スチーブンジョブスが、スタンフォード大学の卒業生に向けた伝説のスピーチで、
「大学の授業、何の為に学んでいるのか疑問に思っている事があると思いますが、一生懸命学んでいればいつかどこかで役に立つ」
の様な事を述べていましたが、同じことをようやく言える様になりました。
こんなに昇ったのかと思うくらい、降り坂が続きます。
昇り坂は必死に歩いているので、気付かないうちに、まぁまぁの標高を獲得していたのでしょう。
大きな造園会社にみかん農園にキウイ農園、坂を昇ると風景が一転します。
自然を見てると、自然と癒されますね。
マンホールを見ると、横浜市に入っていた事に気が付きました。
この付近からはマンホールの絵のような、港や海は見えそうにありません。横浜というと港のイメージがありますが、実際は殆どが内陸の丘陵地です。
住宅地の中に突然現れる滝。
滝から静々と落ちる一筋の水を見て、往時の人々の喉を潤してきたのかと思う感動と、長きにわたり流れ続けている水が時代を繋いでいる事に、感動もひとしおです。
説明看板に"ミミズ牧場"と記されています。たくさんのミミズ達が土を耕している事でしょう。
ミミズと言えば、中山道和田宿の近くの畑に、"ミミズの碑"がありました。
畑を耕してくれた事への感謝が込められており、農家の皆さんの暖かい心遣いが感じられ、ホッコリしました↓
3.荏田宿
大山街道を歩き始めて二日目、宿場町の入口らしい看板に初めて出会いました。
あるとないとではテンションが全然違います。
宿場町らしい風景はこの付近に、ほんの少しあったくらいでした。
大山街道ステッカー。
沿道沿い所々に貼られています。20以上の街道を歩いてきましたが、ステッカーで街道を表現しているケースは初めてです。
大山街道の渋谷付近を歩いていたら、あちこちにステッカーが貼られていましたので、大山街道独特の近代文化かもしれません。
渋谷付近で様々な場所に貼られていたステッカーです↓
明治時代に立ち上がった里親施設跡。明治維新後の武士の俸給停止・三陸大震災大津波・東北の大飢餓の際などの際に孤児を受け入れ、現在は東京都渋谷区にて社会福祉法人として引き継がれています。
土曜日に登校する小学生。
えっと思いましたが、私立の学校なのでしょうね。我が家の三人の子どもは高校卒業まで公立高校でしたので、土曜日に学校に行く子どもを見ていると、気の毒になってきます。
私が小学生の頃は、土曜日は半ドンと呼ばれ午前中授業でした。半ドンの語源はオランダ語で休日を意味するドンタクから来ており、土曜日は半日が休みなので半ドンと呼ばれてましたが、もう死後ですね…
コメダ珈琲のモーニング。
前回大山街道をあるいた際もコメダ珈琲で、渋谷道玄坂上のアパホテルの2階に入居している空中店舗。モーニングは@600円でしたが、江田駅近くの駐車場付独立戸建店舗では@500円、地価の差ですね。
ヤマザキパン配送車は、今日も全国を駆け巡ってます。
東急田園都市線。
川崎市・横浜市・町田市・大和市にまたがる地域を”多摩田園都市”と呼し沿線開発をしたので、このような路線名になってます。
人気があり過ぎて田園風景はあまり味わえませんが、東京近郊の憧れの路線になっています。さすが東急!
最近街道を歩いている時、地域の集会所を撮影しています。
呼び方は公民館・公会堂・会館・など様々で、共通していることは、殆どが扉が閉まっている事、何か活用方法ないのかなぁと考えたりしながら歩いてます。
市ヶ尾町内会館は大山街道歩き始めて、初の集会所でした。
4.柿の木坂
柿の木が多いと思ったら、地名になってました。柿の木坂を昇ります。
ロイヤルヒルズゴルフクラブ。
住宅地のド真ん中にゴルフ場が!元々ゴルフ場があった周りに後から住宅地ができたのかもしれません。なかなかの光景でした。
この付近も、旧道がほぼ原型を留めておらず、クネクネカクカク歩くのに疲れ果てて、普段なら歩きたくない車通りが多い国道を歩く事に。
人は無いものねだりする、良くない生き物ですね・・・・
5.長津田宿
辻地蔵のお供えのペットボトルと缶の蓋が開けられています。
お地蔵さんが飲めるようにと、心遣いが感じられ、ホッコリしました。
冷凍キッチン。
24h営業と書いてあります。気になったので恐る恐る扉を開けてみると…予想通り無人販売店でした。
神社境内で休憩していると、近所の小学校から運動会の紅組白組の応援合戦が聞こえてきます。
10年以上前の、子どもたちの運動会と全く同じ応援合戦の掛け声。聴いていると、三人が同時期に小学校にいた頃の慌ただしさを夫婦で思い出していました。
三人同時の運動会が何が慌ただしいかというと、プログラムに蛍光ペンで線を引くと、半分以上が塗りつぶされ、何が何だか分からなくなっえてきます。ビデオ撮影に追われプロのカメラマンを雇えたらと、痛感しました。
ちなみに、撮影したビデオは9割以上見返す事はありません。
横浜きぬた歯科。
院長の顔写真入りの広告があまりにも多い事で有名になり、弟の八王子きぬた歯科も同様な広告を多く出しているので、兄弟でテレビ番組に出ています。
神奈川県を西に進んでおりましたが、再び東京都に入ります。
国道16号を抜け再び神奈川県に入ります。東京から郊外に出る際に、空が広くなる目安の環状道路が、環状7号→環状8→国道16号。
街道の風景が少しづつ長閑な景観に変わっていきます。
6.下鶴間宿
大山阿夫利神社の分社、大山が近くなってきました。
そろそろ大山詣にするか、足柄峠を越えて沼津宿に向かうか判断をせねばなりません。
宿自治会館。
いい名前でね、宿場町の名残りだと思われます。
下鶴間ふるさと館。
スタッフが常駐し、綺麗に維持管理されており、大和市の意気込みが感じられます。
説明看板を読むと、矢倉沢往還の終点が足柄峠を超えた先の三島宿となってます。沼津宿の説もあるので、足柄峠を越える際は、気が向いた方に向かう事にします。
大和市に入ると、長閑な街道らしい風景が続きます。ずっとこんな感じの風景が続きます様に。
いつもお昼はシンプルな醤油ラーメン。
背脂とかマシマシとかコッテリとか焼豚たっぷりとか海苔たっぷりとか気合の入った湯切りとか行列とか元気過ぎる掛け声とかタオルハチマキとかがチョッピリ苦手なので、いつも街の静かな中華屋さんに入ってます。
3km位の距離に米軍の厚木基地があります。
神奈川県内は厚木基地・横須賀港を中心に、倉庫・通信所・住宅など14の基地があり、想像以上に多いなと思いましたが、戦後は162基地もあったそうです。
火事だ!スタンドパイプだ!
謎の横断幕が歩道橋に掲げられてます。スタンドパイプとは、消火栓に接続して消化活動ができる消火機材。普段気にていませんが、消火栓の近くに置いてあるのでしょうね。
7.大手私鉄 相模鉄道
相模鉄道。
街道を歩いていると、地域密着型の私鉄と並走します。JRと異なり駅の数が多く庶民の足といった印象が強く、踏切の音を聴くとホッとします。
高架線だとガッカリしますね。
私鉄は大手と中小に分けられており、相模鉄道は大手に分類されます。
ひとつの都府県内で完結している大手は相鉄だけなので、その輸送力は凄まじいのでしょうね。
ちなみに大手私鉄は、東武、西武、京成、京王、小田急、東急、京急、東京メトロ、相鉄、名鉄、近鉄、南海、京阪、阪急、阪神、西鉄の16社、錚々たる会社です。
せっかくなので、街道歩きで出会った大手私鉄各社の画像を紹介します。
16社制覇できているでしょうか?
南海:なし
西鉄:なし
結構撮影してました。
東京メトロは他社線に乗り入れている車両の画像はあるのですが、自社線を地上で走っている画像は残念ながら見つからず、荒川の橋の下に東京地下鉄株式会社という表示があった画像を苦し紛れに紹介しました。
西鉄は長崎街道で出会えそう、南海は和歌山や高野山に向かう街道でで会えそう、また街道歩きの楽しみが増えました。
街道沿いに佇む大きな木、これを見ると一里塚ではないかと、興奮してしまうのが街道歩き人の習性。
大山街道では立派な一里塚に出会えていなかったので、やっとお目にかかれると道を渡り、銀杏の実を踏まない様に近づくと…
一里塚跡ではありませんが、不動明王が座ってました。
普通は仁王立ちしているので座っているのは珍しいケースです。
古東海道と思われる道の追分。
この様な看板がなかったら見過ごしてしまう道、日本中あるのでしょうね。
8.国分宿
幸楽苑といえば黄色い看板のイメージですが、この店は緑色。看板をよく見ると"野菜"ラーメン幸楽苑と書かれてます。
野菜推しなので緑色、ブランドイメージカラーを変える、なかなか思い切った戦略ですね。
逆川。
目久尻川の上流を堰き止めて、流れを逆さにしたので逆川と呼ばれると記されてます。治水や築城など、往時の土木技術は本当に凄いですよね。
国分寺跡はどこも芝生の広場なのは何故なのでしょう。
勝手に建物を再建してはいけないという、掟がある様に感じてしまいます。
七重塔。
国分寺の証として建造されていましたが、今では国内に実存しないそうです。レプリカとはいえ、ショッピングモールの中にあり驚きました。
今まで街道を歩いていて、七重塔に関する記述を目にしたのは二カ所、水戸街道の府中宿と東海道の見附宿。
最初に水戸街道府中宿で、七重塔が国分寺の証である事実を知った時は、小さな興奮を覚えました。
画像を4枚紹介します↓
本日はここまで。
次回は2週間後の11/4の予定。
大山を目指すか沼津を目指すか決めてから歩きます。
新しく新宿まで乗り入れた青くてカッコいい車両の相鉄に乗ってみたくて、少し遠回りで高いけどのんびり帰宅しました。
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