東海道 復路17 藤枝宿→江尻宿
31年前、卒業旅行で東海道を江戸日本橋から京三条大橋まで歩いたので、今回は江戸に向けて歩きます。
調べたところ、大坂高麗橋が起点の様なので少し長めの、東海道"五十七次"の独り珍道中を始めます。
23.02.25
1.藤枝宿
昨日、東海道を西に目指している、沖縄単身赴任仲間の鳥海さんと合流した場所から出発。
日本橋まで200kmを切る表示をみて、モチベーションが高まりました。
さぁ張り切っていくぞ!
2.岡部宿
供養祭の日にはあげん台に火がともります。
説明文が素晴らしいのですが、画像では読みずらいので、下記を参照してください。
日本遺産エリアMAPに書かれているタイトルが最高です。
「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん駿州の旅。
私は、街道歩きを通じて、「時速4kmの世界」ブームを起こします!
小野小町の姿見の橋。
この川にうつる自身の顔を小野小町が見た場所。この様な伝説がどの様に語り継がれてきたのか、とても興味があります。先人たちのお陰で伝説が伝承され地域に文化が残ります。
観音堂の境内で、地域の方々が演劇の様な練習をしています。
呆然としていると、そこに偶然訪れたお父さんが語り始め、いつの間にか少子化対策の話になり止まらなくなってきたので、退散してきました。
時々目にする昭和中期のものと思われる看板。
設置してある建物本体が錆びているのに、看板は半世紀近く経っているにもかかわらず色褪せないのが
本当に不思議です。
3.間の宿宇津ノ谷
立派な石垣。
地蔵堂がいかに旅人にとって大切であったかが、この石垣をみることでよくわかります。
間の宿宇津ノ谷。
何もかもが美しすぎて、何度も何度も何度もふり返りました。
いつまでもこの美しい景観が残ります様に。
静岡市は市町村合併で広大な面積を有し、一日歩いてもまだ静岡市にいる気がします。
参考までに日本の市区町村面積ベスト5は次の通り。
4.丸子宿
この工事現場、説明看板を読むと、地すべり対策工事の作業車が通る道路工事です。土木工事のスケールの大きさを、まざまざと感じることができました。
久々に庚申塔を目にしました。
関東地方には多く存在するのですが、東海道を西から歩く中で、気付いた範囲内では初遭遇です。
地域によって信仰が異なり、少しづつ信仰が変化していく様は面白いですね。
茶畑の刈り込み方が、宇津ノ谷峠を越えてから変わりました。
その違いは下の画像をご覧ください、日坂宿と金谷宿の間”小夜の中山”の茶畑は、横に広く人が通過できる隙間が広くなっています。
突然ラブホテルが立て続けに4件並んでいます。江戸時代には同様の宿泊施設はあったのでしょうか?
よくみると同じ様な玉子型のマークが、同じ経営なのでしょうね。
丁子屋は人であふれかえり、約1時間待ち。
江戸時代から今まで人が絶えることなく来続けている、本当にすごいことだと思います。広重の浮世絵を見ると、店内で弥次さん喜多さんが食べている様子がうかがえます。
丁子屋は街道を西から来ると、丸子橋を渡った先の丁字路の突き当りにあったので、屋号が丁子屋なのでしょうね。
明日は丸子宿場まつり。
まだ街道を歩きの途中で祭りに遭遇した事がありません。
いつか遭遇してみたいですが、遭遇したら進まなくなるでしょうね…
5.安倍川
さわたり(佐渡)の地名が地図上から消えたことを惜しんで建てた碑。
この気持ちわかります。
私が育った茨城県猿島郡総和町、平成の市町村合併で古河市になり、町名が消滅、18年経った今でも嫌です。
安倍川もちの店先に杵と臼が置いてあり、本当に衝いていそうな感じ。
店の奥では店員さんが手造りしていました。
たい焼きたこ焼屋さん、3日前に閉店との張り紙が。
同様の店舗は街道を歩いていると何度か目にします。想像ですが後継者不足が原因でしょうかね。
城下町特有の整然と広がった街並みを進み、あと少しで府中宿の中心部に入ります。
6.府中宿
たいやき”さち”は、大学生2人が起業した店。
特徴は丸い形の珍しいたいやき、残念ながら胃袋がたいやきを求めていなかったので食べてはいません。
人宿町の商店街は、総務省のふるさとづくり大賞2023 奨励賞を受賞。
街の雰囲気が洗礼されており、人が集まるオーラが溢れていました。
連日35km近く歩きあまり肉を食べないでいたら、身体が肉を求め始めてきます。今回はいつもの醤油ラーメンではなく、老舗の肉屋さんでステーキを美味しくいただきました。
呉服町名店街を通りましたが、さすが茶所お茶屋さんが多かったです。
日頃からお茶を飲む習慣があるのですね。
本陣跡がある伝馬町が江戸時代の中心地だったと思われます。
すぐ隣が静岡駅、城下町で鉄道駅と宿場町の中心が近い珍しいケースです。
トヨタユナイテッド静岡、見慣れないトヨタのお店。
2021年に、静岡トヨペット・トヨタカローラ東海・ネッツトヨタスルガが合併して誕生。トヨタのお店は販売チャンネルが多かったので、この様な動きは全国的に広がるかもしれません。
JR東海道線と国道1号と交じりながら、東海道はクネクネと迂回させられながら東に向かいます。
7.草薙
狸八相縁起。
狸の容姿や持ち物に、八つの縁起ストーリーが含まれていたのですね。
この付近は生産緑地なので、造園屋さんが街道沿いに暫く続きます。
清水は少年作家発祥の地。
1956年江尻小学校で、一人の新人教師が放課後に校庭で子供たちにボールを蹴らせ、全国に先駆けて少年サッカーチームが結成されました。
画像の小学校は江尻小学校ではありません。
江尻宿方面の空が真っ暗です。
降らないことを祈りながら黒雲に向かって進みます。
8.江尻宿
「いちろんさんのでっころぼう」という、竹串に刺した首人形の
販売店、だと思われます。
清水式商店建築。
なんと商店の建物の2階軒先が迫り出して、屋根の代わりをしています。これならアーケードが不要。この様な商店街の建物はみたことがありません。
さぁ明日は東海道のクライマックス薩埵峠。
楽しみです!
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