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2-3 言葉が出ないもどかしさ

中国語を習い始めてから、1年半が経っていました。会社も、その頃は週1回終業後に、現地の中国語教室から講師を招いて、中国語講座を開いてくれていました。その関係もあって、HSK試験を受けるように言われ、2015年3月、初めてHSK3級を受験しました。

模擬問題集を買い、全問正解するまで何度も繰り返し勉強しました。結果は合格で一安心。でも当時、隣の席に座っていた同僚が勉強していたHSK4級の問題集を見た時には、「これは、私には無理だな」と思いました。作文が書ける気がしませんでした。

中国語教室のテキストも、入門編が終わり、次の新しいテキストに入っていました。単語が増え、新しい言い回しや文法が増え、その場では理解できても、すぐ忘れる……の繰り返し。習った単語やフレーズを実際の場面で使うことは、ほとんどありませんでした。

そして何よりも、テキストの練習問題をやるのが、とても苦痛でした。

例えば、いくつかの絵の内容を、習った語句を使って説明するという問題。たまに、「そもそも描かれている絵の意味がわからん……」というのがありますが、何をどう説明していいのか、思い浮かばないのです。

その他にも、会話を完成させる問題。

例えば、
「あなたは週末香山に行きたいですか?それとも故宮に行きたいですか?」
「それはなぜですか?」
これに続く会話を、指定されたフレーズを使って答えるという問題です。

どちらも行ったことがないので、イメージが浮かびません。

「昨日は帰宅が遅かったですね。王さんの家で何をして遊んでいたのですか?」
この後に続く会話を考えるとか。

想像力を働かせて話を作ればいいだけなのですが、それがなかなか思いつかないのです。

「何して遊ぶ? テレビゲームとか??」
「他には何して遊びますか?」
「えーっと……」

長らく沈黙が続きます。

「マージャンとかトランプとか、色々あるでしょう?」と先生に言われて、
「そ、そうですね……」と言うしかない始末。

何も思いつかないので、言葉が出てこないのです。
考えて沈黙している時間がもったいないので、予習をして、言うフレーズを決めて授業に臨みますが、そこから更に応用問題を出されると、答えられません。

当時、自分の頭の中の90%以上は「仕事」のことしかなく、自分の中に「遊び」というものがありませんでした。自分の中で話題が極端に偏っていると言えばいいでしょうか。留学生向けに書かれたテキストの内容は、私が普段考えることとは違う世界でした。

日本語で聞かれても、なかなかすぐに答えられない内容に加え、不足している自分の中国語力では、一言も言葉が出てこないのです。

そんな自分が情けなくて、悔しくて、涙が出ました。
予習をするにしても、正直「自分にとって、関心のない内容」について、単語を調べたり、文を書いたりするのが苦痛でたまりませんでした。

授業では、なかなか私が言葉を発することができないので、段々と先生の説明ばかりを聞くようになってきました。

「もう続けるの、しんどいな」と思い始めるようになりました。

予定では、あと半年程で日本に帰る予定だったので、もう中国語を学ぶことに対して、モチベーションがなくなりかけていました。

ちょうどその頃のことです。

「ちょっと面談する時間有る?」と上司から呼び出されました。

「来年1年間、こっちの会社に出向できるかどうか、意向を確認したい」
という話です。

話を聞いた瞬間、
「あと1年、中国に居られる!」
と思いました。

中国の同僚とも打ち解けて仲良くなってきたところでしたし、
中国側から必要とされていることも嬉しくて、
その場で「出向します」と答えました。

それなら、もう少し中国語を頑張らないと……。
しぼみかけていた中国語に対するモチベーションが、もう一度自分の中で湧き上がってくるのを感じました。

週1回の授業だけでは足りない。
もっと自分で勉強しなければ……と思った私は、
ネットで色々と勉強法について検索をし始めました。

そして、ある1つの勉強法にたどり着きました。

それは、「作文」。

「自分の言いたいことを作文にする」というわけです。
自分の言いたいことなら書けそうだと思いました。

早速、当時住んでいた「南京」に対する印象について書いてみました。
本当に数行の短い文です。

それを、次の中国語教室に持って行き、先生に添削してもらいました。
「添削してくれる人が居る」というのは、恵まれた環境なんだということに気づきました。

「次からも、作文を持ってきたら添削してもらえますか?」
「もちろん! どんどん持ってきて」

先生も嬉しそうに答えてくれました。
今から振り返ると、私はこの時初めて中国語の学習に自発的に取り組んだのだと思います。

それまでは、教室に行って「教えてもらう」という、受身の学習だったのだと気づきました。

言葉は悪いですが、今の恵まれた環境を「利用」しないと、もったいない。

急に自分の目の前に道が開けた感じがしました。
これが大きな転機となったのです。

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