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創作文化の元凶は「YMOチルドレン」だった(仮説)

それほど画期的でもなかった

1969年生まれの僕がイエロー・マジック・オーケストラを知ったのは、小学4年から5年にかけて、1980年のことでした。

最初の出会いは富士フイルムのテレビCMか、親が聴いていたラジオかはおぼろげですが、いわゆるお茶の間での出来事だったはずです。

YMOについては、シンセサイザーを駆使した画期的な音楽として、当時のマスコミがファッションなど周辺ビジュアルも含んだ「時代の寵児」として持て囃しました。

また最近では、欧米でブームとなっている日本のシティポップの文脈でも語られています。

ダンスシーンのレア盤ハンティングでYMOを知り、そのメンバーが演奏やプロデュースに関わっていた名盤ともなれば、さらにハントが捗ってしまう側面もあるのでしょう。

一方「YMOチルドレン」と呼ばれ、リアタイで楽しんでいた僕ら小学生のファンにとって、YMOの音楽はオトナたちが騒ぐほど画期的と捉えてなかったように思います。

当時の小学生たちは、YMOブームの何年も前から、テレビ番組でシンセサイザーの音色に馴染んでいたのです。

大野雄二さんの仕事

テレビでの仕事量と作品の質において代表格と言えるのが、作曲家でジャズピアニストの大野雄二さんです。

『ルパン三世』(第2シリーズ)、火曜21時のアクションドラマ『大追跡』『大激闘 マッドポリス80』、さらに全社を挙げて臨んだ『24時間テレビ』など、ほとんど日テレ専属の勢いで劇伴を手がけた大野さん。

CTI経由のフュージョンサウンドに加え、自身が弾くシンセサイザーをフィーチャーし、出だしの16小節を聴けば誰が作ったかわかるサウンドを聴かせてくれました。

数ある「ルパン三世のテーマ」でも、この1979年版(リリースは78年)は当時流行のディスコ調アレンジが特徴。
懐かしのシンセドラムを始め、レゾナンス高めのシンクリード、フェイジングしまくりのパッドが楽しめます。

劇伴を手掛けたバンド

大野さんと同じ時期に『小さなスーパーマン ガンバロン』『いろはのい』『おはよう!こどもショー』など、同じ日テレのドラマ音楽を担当していたのが、あのスーパーバンド・ゴダイゴでした。

ミッキー吉野さんの奏でるシンセサイザーが注目を集めたのは、ドラマ『西遊記』のオープニング曲「MONKEY MAGIC」でした。
この曲では冒頭でのアルペジオに加え、テレビ番組では珍しい全編英詞のボーカルが、こどもたちに大きな衝撃を与えました。

2021年にリリースされたニューミックス版を置いときます。
こっちのがシンセの演奏がより際立ってます。

シンセサイザーメインのフュージョン的なポップスサウンドに加え、英詞ボーカルは、テレビで量産され「お茶の間シティポップ」とでも言うべき一大ジャンルとなっていきます。

80年代にはやはり日テレのドラマ『探偵物語』OP曲「BAD CITY」を手掛けたSHOGUN、CMソングを多数手掛けたトランザム、さらにこども向けである『ウルトラマン80』では、ルパン三世のED曲を歌った木村昇さん率いるTALIZMAN(タリスマン)がOPを担当するなど、”お茶の間シティポップ”はシンセに加え、ブラスロックの要素も取り入れた芳醇なものとなります。

こうして耳の肥えた当時のこどもたちの前に登場したのがYMOだったのです。

「テクノポリス」「RYDEEN」「NICE AGE」などのヒット曲は、「ルパン三世のテーマ’79」「MONKEY MAGIC」「BAD CITY」の文脈にあり、シンセサイザーのウェイトが高くなった順当な進化でもあり、決して突然変異ではなかったように思います。

むしろニューミュージック、ロック一辺倒だった当時のハイティーン以上の世代の方が衝撃を受けたのではないでしょうか?

『サウンドール』が支えたシンセブーム

さて、YMOが生み出したもののひとつに、創作文化があるのではないかと思っています。

僕も影響でシンセサイザーを始めたひとりですが、「質の高い音楽を弾いてみたい」「あのサウンドを自分でも作ってみたい」と思う背景に、お茶の間シティポップの積み重ねが貢献していたのは間違いありません。

その欲求に応えていたのが『サウンドール』(学研)という音楽雑誌でした。

YMO一派のアーティストインタビュー目当てに読み進めると、シンセサイザーの音作り講座や新商品レビューがあり、購入欲をそそられるものでした。

当時はちょっとした地方都市の楽器店にもシンセサイザーが置かれ、小中学生が試奏する姿がよく見られたものです。
事実、シンセ国内3大メーカーのコルグ、ヤマハ、ローランドでは5〜7万円台のモノフォニック機が飛ぶように売れていたそうです。

ちなみに81年から坂本龍一さんが担当していたラジオ番組『サウンドストリート』(NHK-FM)では、2クールに一度程度の割合で、一般リスナーによる「デモテープ特集」がオンエアされました。
僕と同世代の槇原敬之さん、テイ・トウワさん、JULLANなどを輩出する、シンセ少年には堪らない企画でした。

創作のハブ『ビックリハウス』

雑誌つながりで言えばもうひとつ、『ビックリハウス』(パルコ出版)に触れないわけにはいきません。

メンバーの連載目当てに読み進めると、関連アーティストのみならず、文筆家からイラストレーター、漫画家、ゲージツ家、学者まで当時「サブカルチャー」と呼ばれ始めた若いクリエイターたちの動向が一網打尽できたのです。

掲載されたクリエイターたちは、既存のプロフェッショナルに対して「ヘタウマ」と呼ばれ、全国のアマチュアたちに「センスがあれば画力は問われない」という誤解も含みつつ、創作への勇気を与えたのは間違いありません。

これは先に書いたシンセサイザーの普及についても同じことが言えます。
当時の坂本龍一さんによる「コンピュータがあれば肉体的訓練は不要」という発言も手伝って、センスがあれば(以下略)創作への勇気を与えたわけです。

YMOチルドレンが人生を狂わせたのは、音楽をはじめとする界隈の創作文化であったはずで、入り口がYMOでありハブとなったのが『ビックリハウス』だったとも言えます。

「創作の連鎖」の源流

時は流れ、テレビを使ったお茶の間キュレーションは崩壊しました。
その代わり自分の部屋に繋がる光回線のおかげで、創作物を世界の同志たちに発信できるようになりました。

2007年の『初音ミク』発売を機に、DTM愛好者のみならずイラスト、クラフトなどを趣味とする人たちの間で続いている「創作の連鎖」は、80年代初頭にYMOチルドレンが味わったものを想起させます。

僕らがこどもの頃に知った創作の楽しさが今後も継続し、発展し続けることを心から祈っています。

ラジオ局勤務の赤味噌原理主義者。シンセ 、テルミン 、特撮フィギュアなど、先入観たっぷりのバカ丸出しレビューを投下してます。